※最終話までのネタバレあり
引き続き『UNDER THE TREE』アニメスペシャル映像考察ですが
今回は(その1)で取りこぼしてしまったところを、
ミカサのドアップ
これ見ると『悪魔の子』のアニメスペシャル映像をつい思い出してしまう
さすがに考えすぎだと思ったのでスルーしてしまったのですが
やっぱり拾う
『悪魔の子』の歌詞についの、ちゅねの解釈は
簡単に言うと
他人を犠牲にしてでも自分を押し通す
みんな自由なんだから、自分の自由を勝ち取るためには、邪魔するやつは倒さないといけないよね?
っていう、ある意味挑発的な歌詞でもあると思う
正しさとは 自分のこと 強く信じ抜くことだ
これも、少しでも自分を疑ってしまったら「正しくない」ことになってしまうから、強く信じ抜かないといけないんだ、っていう頑固さが表れてるし
とんでもなく自分本位全開な歌詞なわけですが
ちゅね自身が、強く自分を信じてないと進めなかったこともあったので、
あー、この曲は自分のことだなーと当時から感じてました
自分の方が絶対に正解だと思ってるのは今でも変わってないので、今も自分のことです
「正解」というか、こっちのほうが絶対に「面白い」ということなのですが
これ以上の「面白い」が現れたら、その時には素直にそっちに行きます
ヒグチアイ自身も「とんでもなく自分勝手な人のことを書いた歌詞です」って思っていそう……なんて(^^;)
エレンとミカサの歌として書いたわけではないけど…的なことは言ってましたよね
111話『森の子ら』の方だと
『森の子ら』を読み返してみました
「正しさとは 自分のこと 強く信じ抜くことだ」同士がぶつかってしまった時に、誰かが引くことで場が収まった的な話ですよね
111話の場合は、サシャの父ちゃんだったわけだが
だから本来は『悪魔の子』そういう歌詞なんだろうけど、
ミカサとエレンが、自分たちのことを差し置いて人類を救うほうを選んだという美しき悲しき愛にも当てはまってしまうというのがまた……
どうしたって表と裏のストーリーが出来るようになってるんだよね(くっそ)
こういうところが実に巧妙です
けど、曲のタイトルが『悪魔の子』というのに意味があるんじゃないかと
ちょっと思ってしまった
「悪魔」という言葉って、絶対にいい意味ではないですよね
フロックがエルヴィンに対して使った「悪魔」も、非道とか、そういった意味っぽいし
違いましたね
あ、いや、完全に違ってはいないか
大人になるというのは、自分が正しいと思ったことを突き進められなくなることだと思います
これなんですよね
誰かが大人にならないと、正しいと正しいのぶつかり合いは収まらないし
で、子供が大人の代わりに「大人」になってたりするんですよ
現実世界でも
世界は残酷だ それでも君を愛すよ
なにを犠牲にしても それでも君を守るよ
この一見美しさを謳っている印象を受けるけど
思いっきり批判している、よね?(^^;)
『The Rumbling』『悪魔の子』『UNDER THE TREE』の映像を見てきて思ったのは
ミカサとエレンとマフラーが出てくると、どうしてもそっちばっかりに目が行ってしまい、他が見えなくなってしまう人が居るということです
はい、ちゅねのことですが
(自分と同じだからこそ、そういう人たちの心のロジックがわかるんだぞ)
こういった自分の思考の癖に気が付いたので、今後は気を付けようと思いますが
こと【進撃の巨人】に関しては、エレンとミカサとマフラー、それに対するお約束のような反応がセットになっていることに辟易してしまっている
……こう書くと語弊があるな
エレンとミカサが本当に好き合っていたのなら、ちゅねだってそこに乗りたいさ
でも違うからさー
エレンが愛したのはハンジ
エレンが一番守りたかったのもハンジ(&弟のリヴァイ)
こんなの…乗れないだろ(T_T)
『UNDER THE TREE』のスペシャル映像のミカサドアップ
あの部分はちょうどミカサ達が「道」に呼ばれて、子供エレンを必死に追いかけるシーンですよね
オレは自由を手に入れるため
世界から自由を奪う
133話『罪人達』
内容的にも、『悪魔の子』とリンクしています
『UNDER THE TREE』の歌詞は
どこに居るの?どこに居たの?と問いかけても、それに答えてはくれない
自分達がどこに向かっているのかも分からない
「あの言葉の意味は?」
(……むずかしいな……(-_-;)……)
追いかけても遅く遠く
いくら追っても子供エレンには辿り着かない、という部分がミカサドアップ
蜃気楼みたいな感じですよね
「逃げ水」なんて、まさにその通りの名称です
ちゅねの再現したものの中で当てはまってくるのは
↓こちら
快作( ̄▽ ̄;)
って、オリジナルじゃないからこそ言えるんですが
面白すぎちゃって、何度読んでも笑えるし
未だに思い出し笑いもしてしまって
「心臓を捧げよ5」の場合は、あの木の下で待っているのはリヴァイで……
………あ、こっちか
読み返してみたら、ある意味苦しくなってきた(-_-;)
まさしく、どこに向かって進めばいいかわからない地獄に陥ってるリヴァイの回です
むむ、『UNDER THE TREE』っぽいな、内容が
ほぼ入ってるじゃないか……
ミカサの曲じゃなくて、リヴァイの曲になるけど
『君だけだよ』のシーンもちょこちょこ流用してるんですが、
『君だけだよ』ってアクションシーンが多いんですよ
アクションシーンの再現がちゅねには一番むずかしいし、不可能なんじゃないかって思ってしまって
だから「心臓を捧げよ3」に組み込んで、あとはご想像に、という手法を……
【進撃の巨人】原作もそういう手法ですし
いけるんじゃないかと(^^;)
話を元に戻しまして
仲間のためだったら大虐殺は赦されるのか
……ダメですよね(^^;)
自分達が生き残るためなら仕方ないだろ、エレンは仕方なかった
エレンはひとりで全てを背負い、愛するミカサと一緒になることを諦めて死んでいったのは可哀想(だから報われて欲しかった)
とエレン側に感情移入しているのなら、逆を考えるんだ
自分はエレンに守られる側ではなく、地鳴らしに踏みつぶされる側だということを考えるんだ
てか「世界は残酷だ(T_T)」って涙流して、
作者天才とかいいながら、心の底では所詮漫画、所詮アニメって思っている人が
いてもいいんだけど、
ちゅねだってそうしてきたし、これからもそうすることもあるだろうけど
でも、わざわざ考察を読んでしまう人なら、もうちょっと先に進める
エレンが地鳴らしをした一番の理由が「リヴァイというヒーロー」を守り抜くことだった(と、ちゅねは考えている)
このとんでもない理由が「仲間のため」に隠されていて、実際はこうでしたってことが明るみに出た時には、地鳴らし肯定派だった人の心は揺さぶられますよね
大量虐殺という既に起きてしまった事象に対して
島のため、仲間のためにしたことなら仕方が無いとしたことが
実は違ってましたと、あとで理由が覆された時に
大量虐殺が起きたことは変わらないにも関わらず、是非が今一度問われる形になる
「なぜ人を殺してはいけないのか」問題ですよ、これは
マルロ達大量の新兵を特攻させちゃったエルヴィンのことも含みます
最初に言った意見を変えるのって、なんとなくかっこ悪いことだけど
でも、ここは恥を忍んで変えちゃってもいいと思うんだ
取りこぼしの2つめ
これは、ヴィリーと英雄へーロスを表してますよね
漫画では97話『手から手へ』で登場
改めてセリフを読み返してみると、実によく出来てるセリフでした…
映像の位置的には、エレンに地鳴らしを決意させた理由のひとつがヴィリーが象徴するものだった
同胞でありながら、自分たちだけが助かるために、パラディ島にいる同胞を「島の悪魔」と呼び皆殺しにしようとした
ヴィリーもまた、大切な仲間たちのためにパラディ島民を犠牲にすることを選んだので、エレンと同じわけだ
あと最終回に描かれた、アルミン達をへ―ロスにしようとしたっていう話が、まったくの嘘だったという種明かしでもあると思う
最終話『あの丘の木に向かって』
たぶん、ここと重なるようになっている、気がする
↑これが↓これ
↑これが↓これです
見事だった
勇ましく、美しく、傷一つない
まさに調査兵団の魂そのものだ
「ええ…、まさしく」
「銅像の中は空洞ですし」
【進撃の巨人】の物語の構造は「繰り返し」です
最終回で描かれてるものはすべて空洞だってことだ
上記のは記憶改竄の中身のストーリー(人形劇)で
それを実際の人物に直すとこうなります
「見事だった」
「勇ましく、美しく、傷一つない」
「まさに調査兵団の魂そのものだ」
「ええ…、まさしく」
「銅像の中は空洞ですし」
恐れずに言えば、空洞だったからこそ、そこにストーリーを詰め込めるようになっていたのじゃ
英雄へ―ロスも、ヴィリーが真実のストーリーをあとで詰め込んだわけだから
99話『疾しき影』
これを元にして
「天と地の戦い」を終わらせたのはエレンでも、アルミン達でも
……ありませんでした
「天と地の戦い」を終結させ世界を救ったのは
「王なのです」
王様だーれだ?
現実に生き残った中だとリヴァイになるけど
生きていることを限定しなければ
ジークも居るし、ウーリもいるんだよな
あと取りこぼしたところと言えばラムジーのところ
ラムジーの件は
みんなのために盗みを働いて片手を失ってしまったラムジーが、エレンと重なっている
自分の身体なんか切り落されたって構わないというラムジーに、弟のハリルは心を痛めている
「もうやめてほしい」という気持ちが、ミカサであり、エレンを止めるために集まった同期たちと重なっている
で、ラムジーが自己犠牲の精神で盗みに盗みまくったお金は地鳴らしから逃げる途中に落としてしまい、
ばら撒かれたお金を必死に拾い集めるのが、ラムジーではなく弟のハリルだというのが重要で
ハリルは、兄がいかに自分たちのためを思って盗みを働いていたかを知っていたので、ばら撒かれたお金は、ハリルにとってはただのお金では無くて、ラムジーが自分たちのために集めたお金になってしまっていた
ラムジーより先にハリルが死んでしまうというのに特に理由はありませんし、あの場でどちらが先に命を落とそうが、ふたりが死んでしまう事実には変わりない
ですが、もし違う場面で、こうしたことが起きた場合に、ハリルだけが逃げ遅れて死んでしまうことも充分にありえる
えー、簡単に言うと何になるんだろう?
愛が足かせになる…ってこと?
2話『その日』のカルラとのお別れシーンと重なってるんですよね
カルラとお別れ出来なかったらエレンとミカサは死んでいたわけで、でもあの時のエレンとミカサは幼すぎてカルラとお別れする決断が出来ない
だから代わりにハンネスが、カルラから二人を力づくで引っぺがして逃げたわけだ
過酷な話だよなぁ(^^;)
アルミンの名言
「何も捨てることができない人には何も変えることができない」
って、自分にとって大切なものを捨てることですよ
いらないもの(嫌いなものとか)を捨てるって意味じゃないよ
捨てる決断をしたら確実に自分が辛い思いをするものを捨てる
究極の選択の話だと思う
で、ちゅねは裏ストーリーで、アルミンにこの考えを改めさせてます
こんな過酷な選択を若者たちに強いらせ続けていいのか?
→「いいわけがない」