取り急ぎ
書き途中だったんだけど、あげられるところまで
この曲は、あまり好きじゃなかったです
「自殺配信」というテーマだけに不謹慎だあ、と思いました
曲自体も、どこがいいのか、ずーっとわかりませんでした
(あとで心境の変化が来ますので、ムッとした人は堪えてください)
神聖かまってちゃんが好きになってからも
なんで『るるちゃん』て人気曲なんだろう、って疑問に思ってました
この曲だけはどうしても拒絶反応が起きてしまいました
(あとで心境の変化が来ますので、ムッとした人は堪えてください)
でもライブでは何度も歌われているようですし
の子のTwitterをみれば、『るるちゃん』のMVが固定されているので否応なく目に入ってくる(^^;)
ある時に気が向いたので曲を聴き、ちゃんと歌詞を読み返してみました
たしか↓この動画がyoutubeにあがったのがきっかけ
ひょっとしたら猫目線で見た世界なんじゃ……?
と、見え方が変わったことで、ぐっと曲に近づくことが出来たような気がしました
るるちゃんと友達になった猫が、るるちゃんの死を知るところから始まります
猫はいつものように、いつもの場所でるるちゃんを待っていた
るるちゃんが死んでしまったことを信じられない猫は、るるちゃんが死んだという場所(中央線)に駆け付ける
そこで目の当たりにしたのが世間の冷たさ
このままでは友達のるるちゃんが「ただの傍迷惑な奴」になってしまうと猫は危機感を抱いた
るるちゃんが毎日猫に話してくれたこと
本当のるるちゃんの姿を伝えなければと、猫はるるちゃんのママのところに飛んでいく(UFOで)
「るるちゃんが自殺配信したのは反抗期が理由じゃないのよ!」
「(るるちゃんの)ママ聞いて!」
と猫は必死に訴えるが、ネコ語だからママには何言ってるのかわからない
↑ママに必死に話しかける猫のイメージ
その時に猫は痛感する
るるちゃんだから自分とお喋りできただけで
猫である自分がどう頑張っても、普通の人間には猫語は伝わらないのである
るるちゃんともう会えないことに悲しみに暮れる猫だったが、
るるちゃんが自分とワルツを踊ることよりも、お墓を立てるほうを選んだことが、一番悲しいことに気が付いた
自分はるるちゃんに捨てられた
それを認めた猫は虚しくなって街を去って行く、みたいなストーリーです
「人間どもはバカだにゃ……」
うなだれた猫の後ろ姿
【完】
これがちゅねの歌詞解釈です
『るるちゃんの自殺配信』は過去に2度ほど考察を書こうとしてました
一度目は上で貼り付けた絵画教室の動画を観て、ネコ目線の解釈が見えた時(9月)
二度目は『卒業式』『僕の戦争』と記事を書いて、『卒業式』の反応が割と良かったので、もうちょっと神聖かまってちゃんカテゴリーの記事を増やしたくなった時(11月)
色々迷って、最終的にやめてしまいました
ちゅねのスタンスを書きます
これは自戒も込めて
受け手として、表現者が表現する気を失ってしまうことだけは避けるべき
表現者は、不特定多数みんなのもの
ただし表現されたものは自分のものにしてもいいと思っている
この“表現されたもの”というのが、実に境界があいまいなんですよね
漫画とかの場合はハッキリ線引きできますが、神聖かまってちゃんとかになると、どこまでが表現なのかという問題が出てくる
まあ、ここではふわっとしておこう
ちゅねが以前から頭に来ていたこと
表現者からみんなへ配られた表現物
ちゅねだけのものになった表現物が、無遠慮に傷つけられることです
そこで「自分は、これのここが好きです!」ということを主張することで、無意識レベルでキャッキャしていた人達を牽制した、という過去があります
ちゅねの好みって大衆的なんですが、たまーに外れることがあるみたいで
「ここが好き!」「ここが素晴らしい!」ということを強く主張し続けた結果、なんと表現者が逃げてしまいました(板挟みがつらすぎて)
表現者側にも多様な好き好き攻撃を受け止める器が必要なことをその時に学びました
ちゅねはその時の経験を活かしてブログ書いてるつもりだったりするんだけど
( ̄▽ ̄;)
『るるちゃんの自殺配信』ついて、ちゅねが興味を持った箇所は、作り手側ではなく受け手側の気持ちです
「この曲で救われた」とコメントを残している人たちの気持ちが謎だったので
そこが知りたい
と、思いました
猫目線で解釈した人は少数派だと思うので
そうではない視点で、それでも「曲に救われた」という人の気持ちが知りたい
でも理解できることはないかもな~と半ばあきらめてもいました
ですが、今年の、たしか元旦だったと思うんだけど
もしかしたら2日だったかもしれないけど
無性に『るるちゃんの自殺配信』が聴きたくなってしまいました
で、夜、寝るときに、枕元にスマホを置いて曲を流したら、「あー~(T_T)」と心に沁みてきちゃって、涙で枕を濡らしました
………
冗談じゃなくて、本当に泣いてしまったんですよ!
ああいう状態の時の、あの温かみのある音ってヤバいのですね
ということを体感できました
その時の状況です
ちゅねは年末に↓この記事をあげました
上げた後に、またちゅねは誰かを傷つけるんだろうなあ、と思いました
記事を書くためとはいえ『自分らしく』を堂々と使ったこと
別に名称を出さなくても書くことは出来たと思うけど、書いた方のが説得力ありますからね
完全なる利用です
あの人とあの人はどう思うんだろうかとか
悪いと思いながらも、エゴの方が勝ちました
あとちょっと、自分の過度な期待をかけてしまったかもしれない箇所があるし、その他諸々で「あー、自分てダメだなー」状態になってしまいました
そこから延々とネガティブモードですよ
そもそもちゅねがこんなことを始めなければ誰も傷つかずに済んだんだよなーとか
完結後の一気読みだったら絶対に気付かなかった
なんて運命のいたずら
ちゅねなんか居ない方がよかったんだ
と、まあ、こんな感じにうじうじうじうじ、めそめそめそめそ
そんな時だったんですよ
『るるちゃんの自殺配信』が脳内で聴こえてきたのが
ともだち―ができない か え り み ち ♪
まさにちゅねのことじゃねーか(-_-;)
って思いました
それで寝ながら曲聴いて泣くわ泣くわ
『るるちゃんの自殺配信』が心に響いた人って、出だしのこの部分が一番大きいのではないだろうか
「あ、自分のことだ」って、ぐいっと心を掴まれて引き込まれる
それで聞いてみると、あの陽気な曲調です
なんていったらいいんだ?
ちゅねの場合、絵画教室の映像が頭にこびりついてるせいで、あの赤い世界観に包まれたのですが
必要になった時に、ちゃんと歌いかけてくれるんだなあ、という気持ちでした
(少しばかり遠藤周作『沈黙』のラストを思い出した)
そしてそして、今一度歌詞を読み返してみたのですが
………おや?(^^;)
あー、るるちゃんと自分の状況が重なってるのか
ということに気が付いた(笑)
街のBluetoothがあたしを壊した
傍迷惑な奴(だと思われてるだろう)
いつだってそこにいて叫んでた
いつだって一人
ごにょごにょごにょ人間見下して
( ̄▽ ̄;)
いつだって叫んでた
で、ちゅねの自殺配信が嘘の日だったわけね
たしかに
確かに歌詞と当てはまってたわ、ははは
そしてこのブログがお墓になるってわけね
ははは
貴重な疑似体験ができました
でもちゅねの実体は死んではいないので、
後々になって、悲しませてしまったなとか、迷惑をかけてしまったな、巻き込んでしまったな、ということに気付いていったんだけど…
謝罪をしたい人、お礼を言いたい人、たくさんいます
ちゅねは「やりたいからやってしまった」
あれによって傷ついてしまう人の気持ちを考えなかったのは確かです…
というわけで、ちゅねは『るるちゃんの自殺配信』に救われた側になることができたので
ちゅねがやるべきことは、表現者(神聖かまってちゃん)と表現物(るるちゃんの自殺配信)を守りたいってことなんだけど
どうしたらいい?
というのは、ちゅね自身が考えるとして
それ以外については考えないよ(出来る限りの配慮はしますけど)
どうアプローチすべきか色々考えこんでて、なかなかこの先を書き進められなかったんだけど
感情に巻き込まれちゃダメだよな~とは思いました
あくまで客観的に、俯瞰的に捉えることを意識します
なるべく早く書ければと焦ってるんだけど、ポンコツ過ぎて先が思いやられるんだ
あー時間をください
というわけで、続きます
自分の存在と表現を責めちゃダメだぞ
絶対に
わかってるよね?
ざざっとだけ読んだけど、
根本的「死」の原因はあの時も今もここにはない
わかってるよね?(念押し)
なんていってるちゅねが「居ない方がよかったんだ」とか言ってる記事なんですが(-_-;)
結構いい記事だろ
気付かずにヘマやらかしてたらスミマセン