『このバトンを海に思いっきり投げて』神聖かまってちゃん

youtu.be

 

“呪いのビデオ”ってことか

 

違うかもしれんけど、ちょっとこっち方向でやってみたい(^^;)

 

ええと、この曲の初披露が2月16日のツイキャス

twitcasting.tv

団地5階の手すりで泣き崩れたあとに披露されたものでした

って、軽く書いてますけど、リアルタイムでは血の気引いて顔面蒼白ですので

小心者なので

 

で、配信前にの子がリツイートしたものをチェックしてて、

その中の1つがこれでした

 

www.uta-net.com

『僕は頑張るよっ』の歌詞が頭に残ってた状態で『このバトンを海に思いっきり投げて』を聴いたので、ちゅねは誰かから受け取った「死のバトン」をぶん投げたと受け止めました

 

この時点で、たぶん受け止め方が人によって二分してますよね

「生命」をあとに繋ぐのをやめたってのと

自分と同じ仲間が死んでいき「次は自分の番か…」という、まるで死のバトンを受け取ってしまったかのような幻に飲み込まれたが、それをぶん投げる

 

動画につけられたコメントもざざっと読みましたが、多少の差異はあってもすべてひっくるめて「呪い」に出来ます

「しがらみ」とコメントしてた人もいましたね

 

まあ、広く解釈ができるようにはなっていると思うが

では、の子にとってそのバトンは何になるのか?ってのを考えると

 

PVの内容から言って

 

「呪いのビデオ」だと、ちゅねは受け取ったぞ

 

 

わたくし事ですが、去年の12月から【進撃の巨人】の考察で、ミカサはなぜエレンを殺し、あの木の下に墓を建てて、あんなことをしてるのかってのをやりはじめて

2月12日に、それを書き終えた

 

正直言いまして、何度も頭をよぎりましたよ

の子はなぜあの最終回で泣いたのか?とか

エレン嫌いって言った人が、泣く解釈ってどんなものだろうって、

ぐるぐると考えを巡らせてましたよ(^^;)

 

で、ちゅねはずっとこれ↓だと思ってたんだけど

youtu.be

ちょっと違ったかも

違ってないかも

わかんないかも

 

ちなみに、この曲、すごい好きでして(^^;)

一発で好きになりました

ミカサの長女とコニーの物語は、この曲のイメージです(やらないけど)

神聖かまってちゃんの曲より先に、こっちを好きになった記憶が…

これはヤバいって思った(笑)

男の人でもこういう詩が書けるのか―って思いましたし、男も女もあんまり変わんないのかも、とも思いました

神聖かまってちゃんの曲は、ホントにとっつきにくくて、入り込むのが難しかったんだよー(T_T)

 

ミカサがひとりぼっちで墓を愛でてたことに関してのちゅねの考えは、さんざん書いてきた通りです

死んだものに対して、自分が生きるために必要なら愛でてればいいし、苦しくなったら捨ててしまえ

 

ちゅねはね、父が再婚した時に、再婚相手を「おかあさん」と呼んだんですよ

その時に「お母さん」という言葉に含まれてる意味を捨てました

12歳の時です

父はその時の相手と別れて、また再婚したけど、父の再婚相手を「お母さん」と呼ぶことに何の抵抗も感慨もありません

ですが、他人にこれを強要するつもりはないし、その人の気持ちは尊重すべきだと思っています

 

神様を捨てたのは10歳の時

 

それなのにお化けが怖いんですよ(´;ω;`)

祟りとか呪いとか金縛りとか…自分の心の持ちようだってメカニズムはわかってるのに

それでも恐怖は払拭できないんですよー(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)

 

映画『リング』だって、心底ビビってしまって、テレビを見る以外にはテレビのそばに居られなくなりましたし(^^;)

その後、貞子というものをメディアがギャグ化していってくれたのが、マジで有難かったです

 

というわけで、ちゅねは罰当たりなことは絶対にしません

神社とかお寺とか大切にしますし

道端に奉られてる大根にも手を合わせます

 

自分の経験から言っても、子供って大人が思うほど子供じゃないし侮れませんよ

その逆が、子供が思うほど大人は大人じゃないってことなんだろうね(笑)

 

話、それましたね

ちゅねがここで言ったことって、

「お母さん」しかり、「神様」しかり、

ぜんぶ「死んだもの」に限定されますので

 

死人(死んだもの)というものは、

自分が生きるために利用するものであり、

利用されるものではない

 

これがちゅねがこれまでに生きてきた中で、自然に自分自身の中で結論付けてきたものかもしれないです

気持ちがついていかなくても努力する

ついてくるまで耐える

 

 

で、またちょっと話それますけど

「さんまさんみたい」っていう感覚、ちょっとわかったかも(笑)

で、ちゅねもそうだったかも(笑)

とにかくもう、親戚が「さんまさん」みたいな人達で、

そんな中でちょい繊細なちゅねがおりまして

感傷的になることが許されない!

隙を見せた途端「お前、今、〇〇って思ってるだろ?」ってバカにされる

「うぬぼれてる」と言われる

後ろを取られたらパンツをおろされる

かんちょーされる

そんな緊張感あふれる環境下でした(笑)

 

揉まれた結果、ちゅねもちょっとそんな風になってしまったのかもしれないけど…

同級生の女子たちに……

今思うと、ということを思い出して、何十年越しに冷や汗をかくという(めそめそ)

 

それとは別に感傷的なものを見ると

まるでもうひとりの自分を見ているようで

グリグリやりたくなってくるっていう

(気を付けてないと地が出てしまう)

感傷的になりたいのに、それに浸りきれない自分がいる

理性が出てきてしまうんだよね

で、自分でも気づかないで感傷に浸り、誰かにバカにされて初めてそれと気づいて恥ずかしい思いをする

それならいっそ常に理性出てこい、っていう

 

あー、ロマンチックもそうなんだよなあ~

けど作品内ではいいだろって思うよね

現実で出来ない分、作品内では浸らせてくれよって

ロマンチックをバカにする奴ら「死ね」って思うよ

 

だから最初は諌山創「死ね」って思ったんだよ( ̄▽ ̄;)

 

ちゅねがブログを書きつづけられたのって、川窪さんと、の子の存在があったからです

じゃないと、絶対に無理

無理無理無理

(直接何かしてもらったとかじゃないですよ)

(ただ存在していたというだけですので)

 

 

これも要は↓これなんですよね

 

 

この世は地獄ですよ

 

 

 

……つまりそういうことですか(そういうことなんですか?)

 

 

 

 

話それたまま終了

 

もういっちょ、書き途中の記事、うまく書けたと思えたら投稿するかも

難しいんだよ(T_T)

 

これだけは最初に言っておきたいけど

何もしないことが一番自分が傷つかなくて済むんですよ

ちゅねが誰かを傷つけることもない

現状維持が保てる

 

それでも、

ってことなんですかね

自分のエゴの方が勝ってしまうということは

 

「ただし、自分で自分の背中を押した奴の見る地獄は別だ」

 

ってことか

 

希望か地獄か

 

 

タイトル『手から手へ』じゃねーか!

くそがっ

 

ほんと嫌だわ~orz

 

まあ、バトンぶん投げというアイテムが与えられてるから

 

2023.8.27追記

イントロが『君をのせて』だということに気が付きました

youtu.be

ラピュタと繋げるとしたら、シータの「海に捨てて~(飛行石を)」っていうの思い出しますが……

ラピュタ人(の科学の結晶)なんていらねえ!的な?

 

 

↓バトンの歌詞の考察のつづき、こちらに書いております

tyune.hatenablog.com