『るるちゃんの自殺配信』といえば、ちゅねにとってはこの動画です
この曲に救われた経験をしているので、今回はそのことについて考えてみた
これを書いてなかったね(笑)
ちゅねが見えた“神”、あれはある種の宗教体験、神秘体験みたいなものだとは思うんだけど
だからといって、の子や神聖かまってちゃんが、ちゅねの神や宗教となったわけではなくて…
あの経験をしたら「の子神!」「神聖かまってちゃん神!」ってなるのはわかるんですよ
ちゅねも若い頃だったら、と思うけど、
けど若いちゅねが神聖かまってちゃんの世界の中に入り込めたかっていえば、難しかったと思う(^^;)
神様捨てたちゅねが神を語るので
なんか、ドン引きされるほど重い話になるかもしれませんが
『るるちゃん』が一番好きな曲か?といえば決してそうではなく、
悩める小羊を救ってくれる存在が「神」「宗教」というのなら、神といえるのは神聖かまってちゃんの曲の中では『るるちゃん』だけです、
今のところは
といっても、常日頃ちゅねを救ってくれてるわけでもなくて(^^;)
あの場あの瞬間に一時だけ降りてきてくれた、だから宗教体験、神秘体験
ちゅねの状況と曲の波長が、みごとにあったからこそ体験できたものだと思ってます
↑こちらの記事でもちょこっと書いたけど
なぜ『るるちゃん』が多くの人に支持されているのかがわからない
ここからスタートしてますので、
ていうか、神聖かまってちゃんという存在自体、自分から好きになったわけじゃなくて、諌山創(『進撃の巨人』)を知りたいから調べてみよう、から始まってますんで
そういうちゅね自身と、ちょうど重なったのが遠藤周作の『沈黙』のストーリーだったんですよね
読んだのだいぶ前で、キリスト教の話だけど物語の着地の仕方がとにかくとても心地よいのです
長く続いた苦悩からふっと解放されるような
手放したからこそ、神が姿を現した、そんなラストだった(記憶では)
日本にキリスト教は根付かない、って、ちゅねはすごくわかるんです
「日本は沼」というのも、すごくわかる
ちゅねも自分が沼だという自覚がある
でも、日本人全てがそうじゃないのも知ってる
無宗教と言いながら、絶対的な神の強い保護を内心では(自分でも気づかずに)求めている人がたくさんいて、
てか、『沈黙』も神を捨てる話ですね(なるほどね…)
ちゅねの場合は、
わからない⇒『るるちゃんの自殺配信』が支持されてる理由がわかった
いや、ほんとに分かったのかどうかは微妙なのかもしれないので
自分も『るるちゃん』を支持する側に行くことができた喜びがあった
でも、そのためには孤独に陥らないといけないんだな、ってのを身をもって知りました
孤独…ってのも違うな、弱くなる、うーん、悲嘆にくれる?
ものすごくあたたかくて、綺麗で、やさしい空間には行けたけれども
それを見るための条件がキツすぎて
なんか、ほんと残酷だな、って思ったのですよ
「ああいう状態の時の、あの温かみのある音ってヤバいのですね」
と4月14日のブログに書いた通りでして……
これまで見ることができなかった自分、できた自分のことも含めて、なーんか色んな感情が……
『るるちゃんの自殺配信』の歌詞解釈については、この数か月前には固まっていたので(ドルバッキーが姿現したの)、ぶっちゃけ歌詞は関係なかったんですよ
ただし導入ぶぶん「友達ができない帰り道」ここの歌詞は非常に重要だったと思う
この歌詞が頭に浮かんで、異様に聴きたくなったから
「夕暮れは時々優しく」
そしてこのフレーズで夕暮れのやさしいイメージが頭にひろがった、かもしれない
あとはもう「音」の世界でした(の子の声も含めて)
歌詞はちゃんと聞こえているんだけど
ちゅねが救われたのは、絵画教室のこの『るるちゃんの自殺配信』なので
↓この“るるちゃん”は存在してませんし
↓こちらでもない
登場人物(主役)は、ちゅねです( ̄▽ ̄;)
で、なんの因果か、絵画教室のあのセットをmonoが貶してたって逸話ももちろん覚えてまして……(ありましたよね?)
ちゅねのシリアスをほどよく打ち壊してくれるのも、それもそれで(笑)
ではなぜちゅねに、神が舞い降りてきたのかってのを分析していきます
ちゅねは基本、ツラいものから逃げたい性格です
怖い、痛いといったものを積極的に取り入れようとはしません
むしろそれを和らげる、柔らかい、優しい、明るいといったものを好んでいると思う
(ホラー映画や怪談話だけは積極的でしたが…、今は観てないけど)
子供の頃、ライナスの毛布がありました
それがないと眠れなかったので、それが無くなってしまう時のことを考えるだけで不安になってましたね
だから、ライナスの毛布を持っている人の不安やツラさはわかる……と思う
ちゅねは無理矢理取り上げられちゃった上に雑巾にまでされてしまったので、
今はそういうのは持っていませんけど
ライナスの雑巾……とかって、自分のことだから笑い話にも出来るけど
「ひでぇ…」って思うから、自分だったら取り上げない
しかしライナスの毛布が無い方が人生が楽っていうのも確かで
……解決方法はわかりません(^^;)
あるんすかね?
そんなわけで、神聖かまってちゃんの楽曲には相性が合わないものが多かったです
とても攻撃的なので、拒絶されている感じが強くて近寄れませんでした
『るるちゃんの自殺配信』もそのひとつでした
最初はそんな曲にばっかり当たってしまったので、ちゅねが神聖かまってちゃんを好きになることはないんじゃなかなって思ってました
諌山創が初心者におすすめする曲としてあげていたのも『夜空の虫とどこまでも』でしょ
しょっぱなからこれはハードル高すぎだろ、って思いました
もうちょっと、こうさー、初心者向きなやつをさー、教えてくれよ
(それこそ『フロントメモリー』でいいんじゃないのかね?)
ただし、の子の書く文章の雰囲気は、めちゃくちゃ好みでした
『雲が流れる』で、明るい曲に暗い歌詞をのせてくクソ野郎、とあるように、これが特長ですよね
なぜこんなことをするのかといえば、諌山創もそういうところがあったと考えれば(^^;)
ってか、そういうところに共感したんだろうけど
一種の復讐ではあるのかな……
富野由悠季の言葉を借りれば、反吐を吐く、みたいな
ただ、こういうことをすると、全員が全員、憎き対象ではないので、そういう人達も復讐に巻き込むことになり、あとで本人が苦しむことになる(ってのも一緒だろう、きっと)
で、反吐を吐きたいについては、川窪さんもそういうところがあるんだと……(思ってますよ)
リヴァイを死なせないことを固持したのは川窪さんのようですし、むしろ川窪さんの方が……(ていう分析です)
でも、そういう頑固さを感じたから、逆にちゅねは安心できました
目の前に差し出されたものに乗っかってもいいよ、っていう安心感
それで爽快感を味わってたわけですから
進撃の巨人のアレをやるって決めた時は、当然ながら嫌われる覚悟をもって臨みましたし
しかし、まさか全方向とは思わなくて(^^;)
ちゅねはクリエイターと名乗るわけにはいかないけど、
『さよなら絵梨』の中のセリフをお借りしまして、ブログの読み手が抱えてる問題に踏み込んでいる以上、ちゅねも傷つかないとフェアじゃない
「ちゅねはクリエイターじゃないから」って……逃げられるズルさはあるんだけど
(そこを怒られていたかもしれないし)
(怒りたい人もいると思うけど)
で、途中から(『心臓を捧げよ』をやりはじめてから)神聖かまってちゃんが心の拠り所になってまして、
そこまでも傷つけなきゃいけなくなった時に、「もう嫌!」ってなっちゃったんです
というか、傷つけたくないんです
もうとっくに傷つけてたのかもしれないですが
自分も居なくなりたくない
で、年末年始にドーンと落ちてしまった時に救ってくれたのが『るるちゃんの自殺配信』という流れね
あとハンジペッタンコからの『孤独の中で鳴るBeatっ!』も
もう少しだけ頑張ろう、と前向きになれました
分析ですが(^^;)
ようは、『るるちゃんの自殺配信』の音の方が、ちゅねの心に作用したのよ
じゃあ歌詞の方はダメだね、擁護できないね、とならないように、
歌詞の方は(その1)(その2)で擁護できていると思うので
(完ぺきではないかもしれないけど)
しかしながら、『るるちゃん』の音の方といっても、
ちゅね、音楽に関してはホントにさっぱりなので、説明できないんです
『るるちゃん』のあの音(サウンドっていえばいいの?)に似てる曲って何かなあ?と一生懸命記憶の中から探したところ、2つほど該当するものが
偶然にも高畑勲作品……
祭囃子っぽいのか
だから絵画教室のセットが、ちゅねの中でイメージぴったりで印象に残ったのかも
天人の音楽については、エレクトリカルパレードだ…って思いました
地球をあとにする天人たちの、「はいお疲れさん」て感じの無慈悲な感じが…むちゃくちゃよく表現されてて、超インパクトある
や、でもよくよく思い返すと『かぐや姫の物語』って『毎日がニュース』だ
『天人の音楽』の動画のコメント欄に書かれてたけど、「感情の無い音楽」というオーダーから作った音楽らしいです
え……
あー、でも、あのシーンて、東日本大震災と原発事故が起きた後でも、どんなに人が悲しみに暮れてようが桜は変わらずに咲いた時の、あれの感じに似てるかも
『るるちゃんの自殺配信』の音もそういったところがあるのか……?
まあ、たしかに神が降りてきたってのと、天人が降りてくるっていうイメージは合ってるよな……
………て、こうして考え込むと、どんどん引きずられるんですよ
原因はわかってる