『プシ子の手紙』から『このバトンを海に思いきっり投げて』

 

プシ子の手紙

 

youtu.be

 

きっと誰だって 
おんなじ事をさ
思っているけど
いちいち言えないんだよ

って歌われてるけど、

以前からこういう人や自分にイラついてたり、出来上がってしまった空気と戦ってるところあるんで

敢えて書いていきますよ(出来る限り)

 

※最初に書いておきますが、擁護記事です

 

外国人患者さんには通じない医療用語|プシコ|

 

たとえば「自殺」という言葉を「自〇」と書いて、直接表現を避けたりしますよね

ちゅねもそういった言葉をブログでバンバン使ってたら、管理画面で警告が表示されて、そこから注意を払うようになりました

(※エロ系ワードです)

放送禁止用語とか、不謹慎なものなど、扱いが禁忌的orなんとなく禁忌的なものって、

そうされてるせいで言葉自体にインパクトがある

 

『るるちゃんの自殺配信』もそうだけど『プシ子の手紙』というのも、タイトルから既に強いインパクトを人に与えている(側面があるのは事実だろう)(おそらくは)

 

「プシコ」については、ちゅねの場合は調べないと知らない言葉でしたが

知っている人からしてみればギョッとするよね

 

 

手紙を受け取った側を「受信者」、送った側(君)を「送信者」と呼ぼうかな

この歌詞は一見、「受信者」は健康な人(というと語弊があるかもだが…)に見えるが、実は「受信者」も「送信者」も共にプシ子である

と思うし、実際にそうだろう

 

あっという間だね
人生はとても儚いものだね
なんだか分からないまま
オワっていくんで  

この歌詞の部分

どう考えても、の子本人がよく言ってることだよね(^^;)?

 

ということは、常日頃から自分が言ってたことを他人から言われてしまったという状況だろう

自分の言動が自分に返ってくる感じ

 

たぶんだけど、送信者は自分の気持ちをわかってもらえると思ったから手紙を送っている

つまり背景にあるのは「自分の気持ちをわかってもらえる」と想い→想われる二人の因果関係である

それを受信者側も重々承知している

 

君のBluetoothが頭に響くから

無視しようにも自分自身が気にしてしまっているので、手紙を捨てようが燃やそうが、一度読んでしまった手紙の内容が記憶に刻まれてしまい、頭から締め出すことができない

「響く」って、いい意味でも使うよね?

今の言葉、心に響いたわー

あ、いい意味の場合は「心」って使うか

なんせ、突き刺さっちゃったんですよ

 

自分に原因があり(影響を与えた)、その結果として手紙をもらったという内容

という解釈です

 

歌詞を主観的に捉えれば、ある人は自業自得、ある人は受信者に同情的となって送信者に侮蔑の感情を抱く

この状況を客観的に捉えると、後者はダブルスタンダードになる危険性をはらんでいるんですよ

でも、ここで効いてくるのが、矛盾してるところが人間っぽいよね、という箇所で

「すべては自業自得」と切り捨てることができる前者は、「人間ぽくないよね~」という意味にもなり、結局どのポジションをとっても嘲笑を受ける形になっている

誰のことも擁護していない、それでいて擁護しているとも言えるような作りだ

 

動画のコメント欄みると、うまい具合に距離を取りつつ曲を摂取しているっぽい人もいて、みんなどのポジションから見てるのかな~とか考えてしまう

ちゅねは最初からプシ子とプシ子で歌詞を捉えていて、

で、考察記事書いてるせいもあって、送信者側になって相手をゲンナリさせている気持ちになってしまい「ううう…」って、大きく引きずり落されそうなり慌てて元の位置まで戻ったりします(^^;)

同じ人、います?

 

配信で流れてるコメントの中に、この人はちゅねと同じかな…と思えるのがチラホラあるんだけど、結局は断片でしかないし、相手は見えないし、わかんないよね

 

どうしても気になってしまうのは、『プシ子の手紙』の動画コメント欄の「神!」という言葉で、これを書き込んだ人の中に見えた神の形について想いを馳せてしまうのは相も変わらずです

「るるちゃん」の楽曲の方は、おかげさまでちゅねにも神を見ることができましたが

 

youtu.be

 

ちゅねは、自分が分からないものに興味がいってしまう性分です

興味っていうとあれだけど、わかるようになりたい、見えるようになりたい、ですよ

以前はわからなかったことが、急にわかるようになることがある

最近もあった

でも、これ以上は踏み込まないほうがいいというのも世の中にはあるのだろうから、ちょっと気を付けながら進もうと思ってます

ちゅね、すんごい脆い

 

とっても切ない
顔がいちばんさ
人間っぽさだよ
って君は言う

 

ここもさ

直前の“切ない顔に変わるね”ってのは受信者の顔が切ない顔に変わったのを見た送信者が

「切ない顔が素敵」

「一番好き」

「それも人間っぽさだよ」

って言ってたってことじゃん

 

歌詞の最初の方に戻るけど「どうかよろしくね」と書いたってことは、あとは任せた的でもあり

遺書ってことは「私は死にます」的な内容の手紙をもらったのだろうし

 

郵便ポストってのも、現代では電子のほうだろうし(いちいち言うと)

PV内も受信ボックス

 

ただ、二人の関係を表現者とファンとしてしまうと、これまたちゅね的にも心境がかわってくるんだが

まあ、ファン側としては、受け止めて欲しい、拒絶しないで欲しいというのはある(^^;)

ただ表現者とはいえ相手は生身の人間だから、表現者が傷ついて、以前のように心のままに表現することに躊躇するようになってしまうという状況だけは避けたほうがいい

 

っていうのも状況的に難しいっても、ちゃんとわかってますからね(^^;)

 

でも、表現者が潰れちゃったら元も子もないだろう

 

だからこそ、ある危険水域までいったら中和剤を入れたほうがいいよね?

ダイエット中にチートデイを設けるように、「言ってることと違うじゃん!」的なものを許容できるようになればいいんだろうけど

これまた難しいってことも、ちゃんとわかってますって(^^;)

世界観が一瞬でぶっ飛ぶから

それを防ぐためには、

受け手側の方へ中和剤をうまく入れられれば………と思ってるんだよ

 

きっと誰だって同じことを思っているけどいちいち言わない

って言うけど

それが誰もが知ってて当たり前の常識だと思われちゃうと非常に困る

「テレビは虚構」ってのも、誰にとっての常識ではないし!

 

嘘によって救われるか……(たしかに)(なるほどね)

要は「知らぬが仏」ではあるんだけど……

「言わぬが花」……(-_-;)

 

それが「嘘」だとわかった瞬間にそれは壊れる

「虚構」「嘘」でも、それが「本物」「真実」「真理」だと思ってたからこそ尊敬や好感をもってたわけで、「嘘」だとわかっても支持できるかっていったら、そりゃ無理だ

最初から「虚構」だとわかってた人達は別だろうけど

 

……んで、「虚構」を一生懸命演じている姿に「真実」を見ている人もいて、その人にとってみればそれは紛れもなく「本物」であり「真実」であり「真理」だから、

その虚構を壊されては困るんだ

その人たちの中に「言わぬが花」があるんじゃないかなー

 

ああ、そうか、

分かりやすく言えば、同じもの(人)を見ていても、「知らぬが仏グループ」と「言わぬが花グループ」が存在するってことだね

 

健全に対して、不健全や不謹慎な表現がある

不健全なものは規制や排除がされがちですが、規制されたところで……

ってのがあるじゃないですか

わが身を振り返ってみても、親に禁止されても本心では決して受け入れてないし、反発心が芽生えるだけだし

危険だからやめなさいって言われても、危険じゃないものは危険じゃないし、

どんどん親に隠すようになってしまうだけで

隠されるようになったほうのが危ないと思う

 

そういった不健全なものに惹かれ、摂取しているとして、

なぜそれをするのかという、少なくともその人の心を知る指標になると思うんだけどなー

 

まあ、子育てについてはその道の専門家のほうが詳しいだろうし

ちゅねは最初から放棄している人間なので

 

規制については、規制したところで……っていうのがちゅねの考えね

でも不健全図書指定の件についても、正直「うげー」って思うような嫌悪感バリバリなものもあるし、どこで線を引くのか、そもそも線を引くべきなのか、考え始めると自分でもわかんなくなってきてしまうので

だからそこは自分が好きなものだけ、

無くならないようにするにはどうすればいいかってのを

擁護できる範囲で擁護できそうなら出来ることを

やる

 

線引きについても、このまま規制規制規制され続けていったら怖いな…って思っている

規制されても、見えないようになるだけで、本性は変わらないことは忘れないようにしないと

見えなくなることは逆に怖いことでもあるじゃないですか

どこかで誰かが、何かが、捌け口にされる

 

こういうのを「漂白」とかっていうのね(^^;)

 

「死にたい」という気持ちを肯定してくれたからファンになったという意見をたくさん見かけたし聞いたので、ちゅねにはわからなくても、そういう側面がある

それを奪ってはいけない

奪われない(=表現してもらう)ためには……っていうのをちゅねは考えたいわけよ

それが上手く伝えられなくてヘマもいっぱいしてきてるんだけど

 

なぜそれを見ているのか、惹かれているのか、信望しているのか

そこを見るべき考えるべき

という堂々巡りの話になるので、

 

最近のニュース見ても思うけど、健全に見えるそれが本当に健全なのかどうかも分からないわけで

健全に見えた人を不健全にしたものは何なのかを考えるとさ…(^^;)

 

不健全なものに憧れを抱き、それを体験or摂取するのは非日常を味わうため

ってのもある

 

日常に帰っていくために必要な非日常

それ仮面を被り続けるためのものという位置づけだとしたら、

いくら表現したところで、相手が求めてるのは非日常でしかないのって、表現者によっては急に虚しく感じることもあるだろうな

観光地でも、観光者にとっては非日常かもしれないけど、そこで暮らしている人にとってはリアル、ってのとちょっと似てるかな

 

ちなみに、ここでちゅねのダブスタを書き記しておきますが

ちゅねも漫画等を現実逃避先にしていたところもあるので、それを現実に持ち込むなんて…(例・連続児童殺傷事件)という考え方もします

というわけで、十把一絡げに語ることは不可能!

 

連続児童殺傷事件について、ちゅねは過去に「あー、やっちゃったよ、バカだな」と思ったと書きましたが、あの事件について、どこに感情移入するか、大きく分けて二つあると思ってる

ひとつは犯人側(自分も人を殺してみたい)、もうひとつは少年探偵団側(事件が起きたワクワク)ですよ

 

「さあ、ゲームのはじまりです」

 

ちゅねは少年探偵の方に感情移入した

 

このバトンを海に思いっきり投げて

なんか書いてるうちに『このバトンを海に思いっきり投げて』が脳裏にチラついてきたな……

まあ、同じ作者が書いてるものだから、過去の発言とかも含めて色々と繋がってくるよね

 

youtu.be

 

honkure.net

↑虚構を調べているうちに辿り着いた

『このバトンを海に思いっきり投げて』の歌詞の中に「人類史」ってあったじゃないですか

 

複数のサピエンスの中でなぜホモ・サピエンスだけが繁栄したか

それは大きな集団を作り出すことができたからで、それを支えたのが認知革命

虚構を作り出す力と、それを信じる力があったから、だそうだ

 

そうだったのか( ̄▽ ̄;)

 

バトンてきっと「生きる意味って嘘=虚構」のことだね

ご先祖さまからそれを受け取った(ホモ・サピエンスとしての備わってる能力的なもの)

「生きる意味って嘘」ってかなりフェイク入ってる

本質は「嘘=虚構」のほう

虚構を作り出し、虚構を信じるのは人としての性質

 

これを踏まえて改めて歌詞を追っていくと、

出だしの「僕は死んだんだ」は、の子の言う所の“表現上で自殺する”だろう

 

こんな虚構を作り出してしまった自分を殺そうと飛び降りたけれども(もちろん比喩だよ)、死ねなかった(死にきれなかった=殺しきれなかった)、このザマさ

わかりやすく言えば、こんな虚構を作り出すことを止めようと思ったけど出来なかった

手放すことが(どうしても)できなかった

 

でも生き残ったけど、いまの自分は、その虚構を平然と作り出していた以前の自分ではなく、車椅子に乗っている状態である

 

生きる意味って嘘も必要なんだね

僕は全力でぶん投げた

ここの解釈、かなり捻って受け止めて解釈しますよ(^^;)

ここだけ切り取って解釈するのと、全体を見て解釈するのとじゃ、意味合いが微妙に変わってくるので

 

「生きる意味って嘘も必要なんだね」と言っておいて、次の行で海にぶん投げてますからね(^^;)

隠れている背景(あえて削った背景)は、「生きる」の反対の「死ぬ」だろう

……ええと、語弊なく言いますと、少なくとも「生きるって素晴らしい!」ということを歌ってきてはいないですよね(^^;)

 

「死にたい」に寄り添ってくれるとか、死んだっていいとか、そっちじゃないですか

「生きるって素晴らしい!」という誰かの表現が虚構だというのなら、死んだっていいという自分の表現も立派な虚構だ

どちらにもその虚構を信じてついていく人たちがいる

なぜなら人間はそういう生き物だから

 

で、自分を信じてついてきてくれた人たちから送られてくる想いに苦しめられている

ちゅねの場合、バトン=呪いのビデオ と解釈していまして

 

tyune.hatenablog.com

 

ぶっちゃけちゃえば、ファンから送られてきた手紙(自殺します的なやつ)、自殺配信(呪いのビデオ)です

※『プシ子の手紙』とここで内容が重なっております

 

本音としては、この世の中でうまく生きていけない自分、というものを表現してきたつもりだったんだけど、気づけば自分が思ってたのとは(まるで?若干?微妙に?)違う虚構(虚像)が出来上がっていて、多くの人が見ているのはそっちだった

 

メモリが足りなくって

若い頃の自分の知識(表現の拙さ?)←だからこそイイってのはありますよ、もちろん

そういうの好きですし、

老成がいいとは毛頭思ってませんし、腕が上がった作家さんの作品がつまらなく感じるなんてザラでした

 

プライド高くって

悔しくて

過去の表現を間違いだとは思っていないけれども、過失があることはわかっている

けれどもそれ(過失)を認めるのは悔しいので認めたくない

 

でもそのせいで、どんどん自分の背中に呪いのようなものが覆いかぶさってきて、重くて辛い

 

なんか進撃の巨人のエルヴィンと重なるな!(笑)

 

この世界において虚構が必要だってことはわかったけど

だからといって素直に受け入れるのも癪だから

虚構を作り出すヤツもクソ、信じるヤツもクソ

一人残らずクソ

だから全部ぶん投げてやるんだー!!

 

歌詞をまともにとらないで、ちょっと捻くれた感じで受け止めるのがいい感じのような気がする

 

と、ここで動画コメント欄

「全てを認めてくれたような」というのを見つけて、

書いた本人の本当の気持ちは本人にかわからないことは前提として

自分の中の悪意、こんなこと思っちゃいけない、自分はなんて悪い奴だと自分で勝手に思い詰めてしまったけど、それを全て認めてくれたようで心が軽くなった

というようなことかもしれない、なんて思いました

 

「死にたい」という気持ちに寄り添ってくれる、肯定してくれる、については

ちゅねとは根本的に何かが違うんだろうと思っている

忘れもしない、ちゅねの好きな小説を書いた作家さんが、『もののけ姫』の「生きろ」より、エヴァの「だからみんな死んでしまえばいいのに」の方に共感したと言っていて、その時も大いに首をひねったのだ

その人の書く物語はとても好きなのに、作家さんとちゅねの思想は全然違うものなんだという衝撃

 

10代の頃、痛みなく死ねるのなら死にたいとは思ってました

若い時ほど死んでもいいやって気持ちで、年を重ねるごとに「死にたくねぇ…」って気持ちが強くなっていきました(笑)

よく聞く話だけど、何なんだろうね(^^;)

いろんな煩悩が生まれてくるからなんだろうけど

 

痛みなく死ねるのなら死にたいことは友達に伝えていて、ある日、その友達が「見つけたよ!」とへらへらしながら教えてくれた死に方が、痛みは一瞬かもしれないけど、どう考えても痛いだろう!ってやつで

 

そうじゃないんだよ!

 

と、速攻却下しました

(ちゅねの経験談はギャグになってしまうんだよな……)

あの子も変わった子だったな

 

そういやあの頃の友達のひとりでリスカしてた子いたな、ということを急に思い出す

そういやあの子の市販薬の買い方が異様だった……

今思えばひょっとしてって……、だけど当時は気にもとめてなくて、その子もリスカのこと笑い話をするように喋ったので……笑って聞いてました(-_-;)

分かる子には分かったんだろうけど……(-_-;)

そうやって相手を探ってたんだろうね

 

「生きろ」と「だからみんな死んでしまえばいいのに」については、ちゅねの場合は双方ともに言われる側に立ってしまう

同じ言われるなら「生きろ」の方がいいに決まってると思ってた(当然みんなそうだと思ってたんだよ)

なぜ見ず知らずの他人から「死んでしまえばいいのに」って思われなきゃいかんのだ?

無差別に殺傷されたらたまらん、って反発してしまって……

逆を考えれば、なぜ見ず知らずの人から「生きろ」って言われなきゃならんのだ、になるんだよね(笑)

 

特に明確な理由はなく「死にたい」

じゃなくて!

明確な理由が見当たらない、もしくは上手く言語化できないけど、とにかく「死にたい」という気持ちが自分の中にある状態なんだ

不満という不満はない、それなりに不自由なく暮らさせてもらっている、

だからこそ、そんな自分が「死にたい」なんて言うことは許されないだろうから言えない←これって抑圧に繋がるよね

 

不安要素があるんだよ、その人を不安にさせる何か

漠然としたもの、

空気とか

澱んだ何か

 

例えば、寂しい…、という想いが自分の中に生じる

 

子供の頃、

ちゅねの場合は朝方、起きる時間よりも早く目が覚めた時だ

親もきょうだいもまだ誰も起きていない時刻に、ひとりで布団の中で目を開けている時に、たま~に、そして急に襲われる謎の感情というものがあった

陥るという表現の方がいいかもしれない

どうしようもなく嫌~なもので、毎回長くは続かないので、はやく終われ!と思ってました

きょうだいに話すと「わかる!」「あれはヤダよね」と言ってたので、同じ現象がきょうだいにもあったようです

あの時のあの感情が何なのかは当時はわからなかったけど

淋しい……

じゃないだろうか?

どうしようもなく淋しい

あの感情に陥る条件をひとつだけ、今は突き止めているけど、速攻性の解消法がないんだよ……

どうしようもないから、どうしようもない

あれのことかもしれない

 

まあ、この辺りは人それぞれさまざまだろう

人に伝えても「何言ってんだよ」「くだらないこと言ってんじゃないよ」と言い捨てられそうなもの

だから、言えない

相手にされない

言えば逆に説教されるに決まってる

「私がいるじゃん」「みんな居るじゃん」とかね

 

うちに抱えてる気持ちは人それぞれですよ

その気持ちを(神聖かまってちゃんは)肯定してくれた!

受け入れてくれた

代弁してくれた

 

ってこと

のような気がする……(断言はしない)

 

これでふと思い出したのですが、

ちゅねは父親を殴ったことがあります

10倍に返されましたが(書いたことありましたっけ?)

で、ボッコボコにされた翌日に普通に出勤して、そりゃあ顔面がアレなもので何人かに理由を聞かれて正直に話したところ、「でもさ、何があっても親に手を挙げちゃダメだよ」という説教をくらい、

「(クソだな!)」

と思ったのでした(^^;)

どいつもこいつも何も知らないくせに!!!ていう心境でした

ひとりだけ「わかるよ」と言ってくれた人がいて、その時はすごく嬉しかったです

で、やっぱりというか、その人も親を殴ったことのある人でした(笑)

 

親だからって許されない事あるよな、とわかってくれたことが、どれだけ有難かったか

 

何があっても親に手を挙げちゃダメという人と、ちゅねとでは

そもそもベクトルが違ってるんですよね

 

これを「死にたい」という人の気持ちと合わせて考えれば

肯定してくれる、否定しない、これだけのことだけど、どれほどのものかわかる

ベクトルが違っても、どうにかすれば合わすことは可能そうだな……