来てくれてありがとうございます(^^)
読んでくれて、見てくれて、ありがとうございます
記事が多くなってきたので、簡単な自己紹介も含めたまとめ記事をつくりました
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※最終話までのネタバレあり
当ブログ、再構築部門、現時点での最高傑作は「心臓を捧げよ」です
現時点で唯一最後までやりきれたものでもあります
慣れていないと非常に読みづらいかもしれませんが、読んでもらえると嬉しいです
今見返すと直したいところは多々あるのですが、内容に関しては自信持ってます!
『るるちゃんの自殺配信』といえば、ちゅねにとってはこの動画です
この曲に救われた経験をしているので、今回はそのことについて考えてみた
これを書いてなかったね(笑)
ちゅねが見えた“神”、あれはある種の宗教体験、神秘体験みたいなものだとは思うんだけど
だからといって、の子や神聖かまってちゃんが、ちゅねの神や宗教となったわけではなくて…
あの経験をしたら「の子神!」「神聖かまってちゃん神!」ってなるのはわかるんですよ
ちゅねも若い頃だったら、と思うけど、
けど若いちゅねが神聖かまってちゃんの世界の中に入り込めたかっていえば、難しかったと思う(^^;)
神様捨てたちゅねが神を語るので
なんか、ドン引きされるほど重い話になるかもしれませんが
『るるちゃん』が一番好きな曲か?といえば決してそうではなく、
悩める小羊を救ってくれる存在が「神」「宗教」というのなら、神といえるのは神聖かまってちゃんの曲の中では『るるちゃん』だけです、
今のところは
といっても、常日頃ちゅねを救ってくれてるわけでもなくて(^^;)
あの場あの瞬間に一時だけ降りてきてくれた、だから宗教体験、神秘体験
ちゅねの状況と曲の波長が、みごとにあったからこそ体験できたものだと思ってます
↑こちらの記事でもちょこっと書いたけど
なぜ『るるちゃん』が多くの人に支持されているのかがわからない
ここからスタートしてますので、
ていうか、神聖かまってちゃんという存在自体、自分から好きになったわけじゃなくて、諌山創(『進撃の巨人』)を知りたいから調べてみよう、から始まってますんで
そういうちゅね自身と、ちょうど重なったのが遠藤周作の『沈黙』のストーリーだったんですよね
読んだのだいぶ前で、キリスト教の話だけど物語の着地の仕方がとにかくとても心地よいのです
長く続いた苦悩からふっと解放されるような
手放したからこそ、神が姿を現した、そんなラストだった(記憶では)
日本にキリスト教は根付かない、って、ちゅねはすごくわかるんです
「日本は沼」というのも、すごくわかる
ちゅねも自分が沼だという自覚がある
でも、日本人全てがそうじゃないのも知ってる
無宗教と言いながら、絶対的な神の強い保護を内心では(自分でも気づかずに)求めている人がたくさんいて、
てか、『沈黙』も神を捨てる話ですね(なるほどね…)
ちゅねの場合は、
わからない⇒『るるちゃんの自殺配信』が支持されてる理由がわかった
いや、ほんとに分かったのかどうかは微妙なのかもしれないので
自分も『るるちゃん』を支持する側に行くことができた喜びがあった
でも、そのためには孤独に陥らないといけないんだな、ってのを身をもって知りました
孤独…ってのも違うな、弱くなる、うーん、悲嘆にくれる?
ものすごくあたたかくて、綺麗で、やさしい空間には行けたけれども
それを見るための条件がキツすぎて
なんか、ほんと残酷だな、って思ったのですよ
「ああいう状態の時の、あの温かみのある音ってヤバいのですね」
と4月14日のブログに書いた通りでして……
これまで見ることができなかった自分、できた自分のことも含めて、なーんか色んな感情が……
『るるちゃんの自殺配信』の歌詞解釈については、この数か月前には固まっていたので(ドルバッキーが姿現したの)、ぶっちゃけ歌詞は関係なかったんですよ
ただし導入ぶぶん「友達ができない帰り道」ここの歌詞は非常に重要だったと思う
この歌詞が頭に浮かんで、異様に聴きたくなったから
「夕暮れは時々優しく」
そしてこのフレーズで夕暮れのやさしいイメージが頭にひろがった、かもしれない
あとはもう「音」の世界でした(の子の声も含めて)
歌詞はちゃんと聞こえているんだけど
ちゅねが救われたのは、絵画教室のこの『るるちゃんの自殺配信』なので
↓この“るるちゃん”は存在してませんし
↓こちらでもない
登場人物(主役)は、ちゅねです( ̄▽ ̄;)
で、なんの因果か、絵画教室のあのセットをmonoが貶してたって逸話ももちろん覚えてまして……(ありましたよね?)
ちゅねのシリアスをほどよく打ち壊してくれるのも、それもそれで(笑)
ではなぜちゅねに、神が舞い降りてきたのかってのを分析していきます
ちゅねは基本、ツラいものから逃げたい性格です
怖い、痛いといったものを積極的に取り入れようとはしません
むしろそれを和らげる、柔らかい、優しい、明るいといったものを好んでいると思う
(ホラー映画や怪談話だけは積極的でしたが…、今は観てないけど)
子供の頃、ライナスの毛布がありました
それがないと眠れなかったので、それが無くなってしまう時のことを考えるだけで不安になってましたね
だから、ライナスの毛布を持っている人の不安やツラさはわかる……と思う
ちゅねは無理矢理取り上げられちゃった上に雑巾にまでされてしまったので、
今はそういうのは持っていませんけど
ライナスの雑巾……とかって、自分のことだから笑い話にも出来るけど
「ひでぇ…」って思うから、自分だったら取り上げない
しかしライナスの毛布が無い方が人生が楽っていうのも確かで
……解決方法はわかりません(^^;)
あるんすかね?
そんなわけで、神聖かまってちゃんの楽曲には相性が合わないものが多かったです
とても攻撃的なので、拒絶されている感じが強くて近寄れませんでした
『るるちゃんの自殺配信』もそのひとつでした
最初はそんな曲にばっかり当たってしまったので、ちゅねが神聖かまってちゃんを好きになることはないんじゃなかなって思ってました
諌山創が初心者におすすめする曲としてあげていたのも『夜空の虫とどこまでも』でしょ
しょっぱなからこれはハードル高すぎだろ、って思いました
もうちょっと、こうさー、初心者向きなやつをさー、教えてくれよ
(それこそ『フロントメモリー』でいいんじゃないのかね?)
ただし、の子の書く文章の雰囲気は、めちゃくちゃ好みでした
『雲が流れる』で、明るい曲に暗い歌詞をのせてくクソ野郎、とあるように、これが特長ですよね
なぜこんなことをするのかといえば、諌山創もそういうところがあったと考えれば(^^;)
ってか、そういうところに共感したんだろうけど
一種の復讐ではあるのかな……
富野由悠季の言葉を借りれば、反吐を吐く、みたいな
ただ、こういうことをすると、全員が全員、憎き対象ではないので、そういう人達も復讐に巻き込むことになり、あとで本人が苦しむことになる(ってのも一緒だろう、きっと)
で、反吐を吐きたいについては、川窪さんもそういうところがあるんだと……(思ってますよ)
リヴァイを死なせないことを固持したのは川窪さんのようですし、むしろ川窪さんの方が……(ていう分析です)
でも、そういう頑固さを感じたから、逆にちゅねは安心できました
目の前に差し出されたものに乗っかってもいいよ、っていう安心感
それで爽快感を味わってたわけですから
進撃の巨人のアレをやるって決めた時は、当然ながら嫌われる覚悟をもって臨みましたし
しかし、まさか全方向とは思わなくて(^^;)
ちゅねはクリエイターと名乗るわけにはいかないけど、
『さよなら絵梨』の中のセリフをお借りしまして、ブログの読み手が抱えてる問題に踏み込んでいる以上、ちゅねも傷つかないとフェアじゃない
「ちゅねはクリエイターじゃないから」って……逃げられるズルさはあるんだけど
(そこを怒られていたかもしれないし)
(怒りたい人もいると思うけど)
で、途中から(『心臓を捧げよ』をやりはじめてから)神聖かまってちゃんが心の拠り所になってまして、
そこまでも傷つけなきゃいけなくなった時に、「もう嫌!」ってなっちゃったんです
というか、傷つけたくないんです
もうとっくに傷つけてたのかもしれないですが
自分も居なくなりたくない
で、年末年始にドーンと落ちてしまった時に救ってくれたのが『るるちゃんの自殺配信』という流れね
あとハンジペッタンコからの『孤独の中で鳴るBeatっ!』も
もう少しだけ頑張ろう、と前向きになれました
分析ですが(^^;)
ようは、『るるちゃんの自殺配信』の音の方が、ちゅねの心に作用したのよ
じゃあ歌詞の方はダメだね、擁護できないね、とならないように、
歌詞の方は(その1)(その2)で擁護できていると思うので
(完ぺきではないかもしれないけど)
しかしながら、『るるちゃん』の音の方といっても、
ちゅね、音楽に関してはホントにさっぱりなので、説明できないんです
『るるちゃん』のあの音(サウンドっていえばいいの?)に似てる曲って何かなあ?と一生懸命記憶の中から探したところ、2つほど該当するものが
偶然にも高畑勲作品……
祭囃子っぽいのか
だから絵画教室のセットが、ちゅねの中でイメージぴったりで印象に残ったのかも
天人の音楽については、エレクトリカルパレードだ…って思いました
地球をあとにする天人たちの、「はいお疲れさん」て感じの無慈悲な感じが…むちゃくちゃよく表現されてて、超インパクトある
や、でもよくよく思い返すと『かぐや姫の物語』って『毎日がニュース』だ
『天人の音楽』の動画のコメント欄に書かれてたけど、「感情の無い音楽」というオーダーから作った音楽らしいです
え……
あー、でも、あのシーンて、東日本大震災と原発事故が起きた後でも、どんなに人が悲しみに暮れてようが桜は変わらずに咲いた時の、あれの感じに似てるかも
『るるちゃんの自殺配信』の音もそういったところがあるのか……?
まあ、たしかに神が降りてきたってのと、天人が降りてくるっていうイメージは合ってるよな……
………て、こうして考え込むと、どんどん引きずられるんですよ
原因はわかってる
今回は特に考察をしようとか、そういうんじゃなくて
なんとなく気になったものを
この動画内で使われてる音楽が、
このイントロに似てない?
ちなみに、の子(神聖かまってちゃん)がこのイントロを褒めていて(いつかの配信で)
イントロから歌に入る流れまで全部褒めてた感じだったかな?
この曲をナウシカ本編で使わなかったことに「センスねえよね」的なことを言ってました(たしか)
んで、ちゅね、音楽のことよくわからないんで、あんまり滅多なこと言えないんだけど……
ほんとにただの印象だけで
『このバトンを海に思いっきり投げて』でも、似たような音があるよね?
曲全体を通して何度も流れてくるんだけど
「寄せては返す」とか「渦を巻いてる」ような音だから、海とか波を表現しているんだろうなあ、なんて思ったわけですが
渦といっても、鳴門海峡のうずしおとかの大きなヤツじゃなくて、小さなヤツ(のイメージ)
『進撃の巨人』の完結編後編PVと『風の谷のナウシカ』は、メーヴェ、飛行艇、ファルコ巨人が飛んでるとこ=風を表現していると思われるので、
海の波と風、その違いはあるだろうけど
使ったから「センスあるでしょ?」的な?
あ、本編で使われなかった場合は「センスねえな」になるのか…
2023.8.27追記
あ、『このバトンを海に思いっきり投げて』のイントロは『君をのせて』でしたわ
いま気がついた……(^^;)
音楽方面に自信ないんで、確認のために何度も聞き比べちゃったけど
……そうだよね?(間違ってたらすみません)
安田成美の『風の谷のナウシカ』も改めて何度も聞き返してたら、歌の背後(?)に流れてる音の可憐さに気が付いた
これを聴いてるわけか……
きっと誰だって
おんなじ事をさ
思っているけど
いちいち言えないんだよ
って歌われてるけど、
以前からこういう人や自分にイラついてたり、出来上がってしまった空気と戦ってるところあるんで
敢えて書いていきますよ(出来る限り)
※最初に書いておきますが、擁護記事です
たとえば「自殺」という言葉を「自〇」と書いて、直接表現を避けたりしますよね
ちゅねもそういった言葉をブログでバンバン使ってたら、管理画面で警告が表示されて、そこから注意を払うようになりました
(※エロ系ワードです)
放送禁止用語とか、不謹慎なものなど、扱いが禁忌的orなんとなく禁忌的なものって、
そうされてるせいで言葉自体にインパクトがある
『るるちゃんの自殺配信』もそうだけど『プシ子の手紙』というのも、タイトルから既に強いインパクトを人に与えている(側面があるのは事実だろう)(おそらくは)
「プシコ」については、ちゅねの場合は調べないと知らない言葉でしたが
知っている人からしてみればギョッとするよね
手紙を受け取った側を「受信者」、送った側(君)を「送信者」と呼ぼうかな
この歌詞は一見、「受信者」は健康な人(というと語弊があるかもだが…)に見えるが、実は「受信者」も「送信者」も共にプシ子である
と思うし、実際にそうだろう
あっという間だね
人生はとても儚いものだね
なんだか分からないまま
オワっていくんで
この歌詞の部分
どう考えても、の子本人がよく言ってることだよね(^^;)?
ということは、常日頃から自分が言ってたことを他人から言われてしまったという状況だろう
自分の言動が自分に返ってくる感じ
たぶんだけど、送信者は自分の気持ちをわかってもらえると思ったから手紙を送っている
つまり背景にあるのは「自分の気持ちをわかってもらえる」と想い→想われる二人の因果関係である
それを受信者側も重々承知している
君のBluetoothが頭に響くから
無視しようにも自分自身が気にしてしまっているので、手紙を捨てようが燃やそうが、一度読んでしまった手紙の内容が記憶に刻まれてしまい、頭から締め出すことができない
「響く」って、いい意味でも使うよね?
今の言葉、心に響いたわー
あ、いい意味の場合は「心」って使うか
なんせ、突き刺さっちゃったんですよ
自分に原因があり(影響を与えた)、その結果として手紙をもらったという内容
という解釈です
歌詞を主観的に捉えれば、ある人は自業自得、ある人は受信者に同情的となって送信者に侮蔑の感情を抱く
この状況を客観的に捉えると、後者はダブルスタンダードになる危険性をはらんでいるんですよ
でも、ここで効いてくるのが、矛盾してるところが人間っぽいよね、という箇所で
「すべては自業自得」と切り捨てることができる前者は、「人間ぽくないよね~」という意味にもなり、結局どのポジションをとっても嘲笑を受ける形になっている
誰のことも擁護していない、それでいて擁護しているとも言えるような作りだ
動画のコメント欄みると、うまい具合に距離を取りつつ曲を摂取しているっぽい人もいて、みんなどのポジションから見てるのかな~とか考えてしまう
ちゅねは最初からプシ子とプシ子で歌詞を捉えていて、
で、考察記事書いてるせいもあって、送信者側になって相手をゲンナリさせている気持ちになってしまい「ううう…」って、大きく引きずり落されそうなり慌てて元の位置まで戻ったりします(^^;)
同じ人、います?
配信で流れてるコメントの中に、この人はちゅねと同じかな…と思えるのがチラホラあるんだけど、結局は断片でしかないし、相手は見えないし、わかんないよね
どうしても気になってしまうのは、『プシ子の手紙』の動画コメント欄の「神!」という言葉で、これを書き込んだ人の中に見えた神の形について想いを馳せてしまうのは相も変わらずです
「るるちゃん」の楽曲の方は、おかげさまでちゅねにも神を見ることができましたが
ちゅねは、自分が分からないものに興味がいってしまう性分です
興味っていうとあれだけど、わかるようになりたい、見えるようになりたい、ですよ
以前はわからなかったことが、急にわかるようになることがある
最近もあった
でも、これ以上は踏み込まないほうがいいというのも世の中にはあるのだろうから、ちょっと気を付けながら進もうと思ってます
ちゅね、すんごい脆い
とっても切ない
顔がいちばんさ
人間っぽさだよ
って君は言う
ここもさ
直前の“切ない顔に変わるね”ってのは受信者の顔が切ない顔に変わったのを見た送信者が
「切ない顔が素敵」
「一番好き」
「それも人間っぽさだよ」
って言ってたってことじゃん
歌詞の最初の方に戻るけど「どうかよろしくね」と書いたってことは、あとは任せた的でもあり
遺書ってことは「私は死にます」的な内容の手紙をもらったのだろうし
郵便ポストってのも、現代では電子のほうだろうし(いちいち言うと)
PV内も受信ボックス
ただ、二人の関係を表現者とファンとしてしまうと、これまたちゅね的にも心境がかわってくるんだが
まあ、ファン側としては、受け止めて欲しい、拒絶しないで欲しいというのはある(^^;)
ただ表現者とはいえ相手は生身の人間だから、表現者が傷ついて、以前のように心のままに表現することに躊躇するようになってしまうという状況だけは避けたほうがいい
っていうのも状況的に難しいっても、ちゃんとわかってますからね(^^;)
でも、表現者が潰れちゃったら元も子もないだろう
だからこそ、ある危険水域までいったら中和剤を入れたほうがいいよね?
ダイエット中にチートデイを設けるように、「言ってることと違うじゃん!」的なものを許容できるようになればいいんだろうけど
これまた難しいってことも、ちゃんとわかってますって(^^;)
世界観が一瞬でぶっ飛ぶから
それを防ぐためには、
受け手側の方へ中和剤をうまく入れられれば………と思ってるんだよ
きっと誰だって同じことを思っているけどいちいち言わない
って言うけど
それが誰もが知ってて当たり前の常識だと思われちゃうと非常に困る
「テレビは虚構」ってのも、誰にとっての常識ではないし!
嘘によって救われるか……(たしかに)(なるほどね)
要は「知らぬが仏」ではあるんだけど……
「言わぬが花」……(-_-;)
それが「嘘」だとわかった瞬間にそれは壊れる
「虚構」「嘘」でも、それが「本物」「真実」「真理」だと思ってたからこそ尊敬や好感をもってたわけで、「嘘」だとわかっても支持できるかっていったら、そりゃ無理だ
最初から「虚構」だとわかってた人達は別だろうけど
……んで、「虚構」を一生懸命演じている姿に「真実」を見ている人もいて、その人にとってみればそれは紛れもなく「本物」であり「真実」であり「真理」だから、
その虚構を壊されては困るんだ
その人たちの中に「言わぬが花」があるんじゃないかなー
ああ、そうか、
分かりやすく言えば、同じもの(人)を見ていても、「知らぬが仏グループ」と「言わぬが花グループ」が存在するってことだね
健全に対して、不健全や不謹慎な表現がある
不健全なものは規制や排除がされがちですが、規制されたところで……
ってのがあるじゃないですか
わが身を振り返ってみても、親に禁止されても本心では決して受け入れてないし、反発心が芽生えるだけだし
危険だからやめなさいって言われても、危険じゃないものは危険じゃないし、
どんどん親に隠すようになってしまうだけで
隠されるようになったほうのが危ないと思う
そういった不健全なものに惹かれ、摂取しているとして、
なぜそれをするのかという、少なくともその人の心を知る指標になると思うんだけどなー
まあ、子育てについてはその道の専門家のほうが詳しいだろうし
ちゅねは最初から放棄している人間なので
規制については、規制したところで……っていうのがちゅねの考えね
でも不健全図書指定の件についても、正直「うげー」って思うような嫌悪感バリバリなものもあるし、どこで線を引くのか、そもそも線を引くべきなのか、考え始めると自分でもわかんなくなってきてしまうので
だからそこは自分が好きなものだけ、
無くならないようにするにはどうすればいいかってのを
擁護できる範囲で擁護できそうなら出来ることを
やる
線引きについても、このまま規制規制規制され続けていったら怖いな…って思っている
規制されても、見えないようになるだけで、本性は変わらないことは忘れないようにしないと
見えなくなることは逆に怖いことでもあるじゃないですか
どこかで誰かが、何かが、捌け口にされる
こういうのを「漂白」とかっていうのね(^^;)
「死にたい」という気持ちを肯定してくれたからファンになったという意見をたくさん見かけたし聞いたので、ちゅねにはわからなくても、そういう側面がある
それを奪ってはいけない
奪われない(=表現してもらう)ためには……っていうのをちゅねは考えたいわけよ
それが上手く伝えられなくてヘマもいっぱいしてきてるんだけど
なぜそれを見ているのか、惹かれているのか、信望しているのか
そこを見るべき考えるべき
という堂々巡りの話になるので、
最近のニュース見ても思うけど、健全に見えるそれが本当に健全なのかどうかも分からないわけで
健全に見えた人を不健全にしたものは何なのかを考えるとさ…(^^;)
不健全なものに憧れを抱き、それを体験or摂取するのは非日常を味わうため
ってのもある
日常に帰っていくために必要な非日常
それが仮面を被り続けるためのものという位置づけだとしたら、
いくら表現したところで、相手が求めてるのは非日常でしかないのって、表現者によっては急に虚しく感じることもあるだろうな
観光地でも、観光者にとっては非日常かもしれないけど、そこで暮らしている人にとってはリアル、ってのとちょっと似てるかな
ちなみに、ここでちゅねのダブスタを書き記しておきますが
ちゅねも漫画等を現実逃避先にしていたところもあるので、それを現実に持ち込むなんて…(例・連続児童殺傷事件)という考え方もします
というわけで、十把一絡げに語ることは不可能!
連続児童殺傷事件について、ちゅねは過去に「あー、やっちゃったよ、バカだな」と思ったと書きましたが、あの事件について、どこに感情移入するか、大きく分けて二つあると思ってる
ひとつは犯人側(自分も人を殺してみたい)、もうひとつは少年探偵団側(事件が起きたワクワク)ですよ
「さあ、ゲームのはじまりです」
ちゅねは少年探偵の方に感情移入した
なんか書いてるうちに『このバトンを海に思いっきり投げて』が脳裏にチラついてきたな……
まあ、同じ作者が書いてるものだから、過去の発言とかも含めて色々と繋がってくるよね
↑虚構を調べているうちに辿り着いた
『このバトンを海に思いっきり投げて』の歌詞の中に「人類史」ってあったじゃないですか
複数のサピエンスの中でなぜホモ・サピエンスだけが繁栄したか
それは大きな集団を作り出すことができたからで、それを支えたのが認知革命
虚構を作り出す力と、それを信じる力があったから、だそうだ
そうだったのか( ̄▽ ̄;)
バトンてきっと「生きる意味って嘘=虚構」のことだね
ご先祖さまからそれを受け取った(ホモ・サピエンスとしての備わってる能力的なもの)
「生きる意味って嘘」ってかなりフェイク入ってる
本質は「嘘=虚構」のほう
虚構を作り出し、虚構を信じるのは人としての性質
これを踏まえて改めて歌詞を追っていくと、
出だしの「僕は死んだんだ」は、の子の言う所の“表現上で自殺する”だろう
こんな虚構を作り出してしまった自分を殺そうと飛び降りたけれども(もちろん比喩だよ)、死ねなかった(死にきれなかった=殺しきれなかった)、このザマさ
わかりやすく言えば、こんな虚構を作り出すことを止めようと思ったけど出来なかった
手放すことが(どうしても)できなかった
でも生き残ったけど、いまの自分は、その虚構を平然と作り出していた以前の自分ではなく、車椅子に乗っている状態である
生きる意味って嘘も必要なんだね
僕は全力でぶん投げた
ここの解釈、かなり捻って受け止めて解釈しますよ(^^;)
ここだけ切り取って解釈するのと、全体を見て解釈するのとじゃ、意味合いが微妙に変わってくるので
「生きる意味って嘘も必要なんだね」と言っておいて、次の行で海にぶん投げてますからね(^^;)
隠れている背景(あえて削った背景)は、「生きる」の反対の「死ぬ」だろう
……ええと、語弊なく言いますと、少なくとも「生きるって素晴らしい!」ということを歌ってきてはいないですよね(^^;)
「死にたい」に寄り添ってくれるとか、死んだっていいとか、そっちじゃないですか
「生きるって素晴らしい!」という誰かの表現が虚構だというのなら、死んだっていいという自分の表現も立派な虚構だ
どちらにもその虚構を信じてついていく人たちがいる
なぜなら人間はそういう生き物だから
で、自分を信じてついてきてくれた人たちから送られてくる想いに苦しめられている
ちゅねの場合、バトン=呪いのビデオ と解釈していまして
ぶっちゃけちゃえば、ファンから送られてきた手紙(自殺します的なやつ)、自殺配信(呪いのビデオ)です
※『プシ子の手紙』とここで内容が重なっております
本音としては、この世の中でうまく生きていけない自分、というものを表現してきたつもりだったんだけど、気づけば自分が思ってたのとは(まるで?若干?微妙に?)違う虚構(虚像)が出来上がっていて、多くの人が見ているのはそっちだった
メモリが足りなくって
若い頃の自分の知識(表現の拙さ?)←だからこそイイってのはありますよ、もちろん
そういうの好きですし、
老成がいいとは毛頭思ってませんし、腕が上がった作家さんの作品がつまらなく感じるなんてザラでした
プライド高くって
悔しくて
過去の表現を間違いだとは思っていないけれども、過失があることはわかっている
けれどもそれ(過失)を認めるのは悔しいので認めたくない
でもそのせいで、どんどん自分の背中に呪いのようなものが覆いかぶさってきて、重くて辛い
なんか進撃の巨人のエルヴィンと重なるな!(笑)
この世界において虚構が必要だってことはわかったけど
だからといって素直に受け入れるのも癪だから
虚構を作り出すヤツもクソ、信じるヤツもクソ
一人残らずクソ
だから全部ぶん投げてやるんだー!!
歌詞をまともにとらないで、ちょっと捻くれた感じで受け止めるのがいい感じのような気がする
と、ここで動画コメント欄
「全てを認めてくれたような」というのを見つけて、
書いた本人の本当の気持ちは本人にかわからないことは前提として
自分の中の悪意、こんなこと思っちゃいけない、自分はなんて悪い奴だと自分で勝手に思い詰めてしまったけど、それを全て認めてくれたようで心が軽くなった
というようなことかもしれない、なんて思いました
「死にたい」という気持ちに寄り添ってくれる、肯定してくれる、については
ちゅねとは根本的に何かが違うんだろうと思っている
忘れもしない、ちゅねの好きな小説を書いた作家さんが、『もののけ姫』の「生きろ」より、エヴァの「だからみんな死んでしまえばいいのに」の方に共感したと言っていて、その時も大いに首をひねったのだ
その人の書く物語はとても好きなのに、作家さんとちゅねの思想は全然違うものなんだという衝撃
10代の頃、痛みなく死ねるのなら死にたいとは思ってました
若い時ほど死んでもいいやって気持ちで、年を重ねるごとに「死にたくねぇ…」って気持ちが強くなっていきました(笑)
よく聞く話だけど、何なんだろうね(^^;)
いろんな煩悩が生まれてくるからなんだろうけど
痛みなく死ねるのなら死にたいことは友達に伝えていて、ある日、その友達が「見つけたよ!」とへらへらしながら教えてくれた死に方が、痛みは一瞬かもしれないけど、どう考えても痛いだろう!ってやつで
そうじゃないんだよ!
と、速攻却下しました
(ちゅねの経験談はギャグになってしまうんだよな……)
あの子も変わった子だったな
そういやあの頃の友達のひとりでリスカしてた子いたな、ということを急に思い出す
そういやあの子の市販薬の買い方が異様だった……
今思えばひょっとしてって……、だけど当時は気にもとめてなくて、その子もリスカのこと笑い話をするように喋ったので……笑って聞いてました(-_-;)
分かる子には分かったんだろうけど……(-_-;)
そうやって相手を探ってたんだろうね
「生きろ」と「だからみんな死んでしまえばいいのに」については、ちゅねの場合は双方ともに言われる側に立ってしまう
同じ言われるなら「生きろ」の方がいいに決まってると思ってた(当然みんなそうだと思ってたんだよ)
なぜ見ず知らずの他人から「死んでしまえばいいのに」って思われなきゃいかんのだ?
無差別に殺傷されたらたまらん、って反発してしまって……
逆を考えれば、なぜ見ず知らずの人から「生きろ」って言われなきゃならんのだ、になるんだよね(笑)
特に明確な理由はなく「死にたい」
じゃなくて!
明確な理由が見当たらない、もしくは上手く言語化できないけど、とにかく「死にたい」という気持ちが自分の中にある状態なんだ
不満という不満はない、それなりに不自由なく暮らさせてもらっている、
だからこそ、そんな自分が「死にたい」なんて言うことは許されないだろうから言えない←これって抑圧に繋がるよね
不安要素があるんだよ、その人を不安にさせる何か
漠然としたもの、
空気とか
澱んだ何か
例えば、寂しい…、という想いが自分の中に生じる
子供の頃、
ちゅねの場合は朝方、起きる時間よりも早く目が覚めた時だ
親もきょうだいもまだ誰も起きていない時刻に、ひとりで布団の中で目を開けている時に、たま~に、そして急に襲われる謎の感情というものがあった
陥るという表現の方がいいかもしれない
どうしようもなく嫌~なもので、毎回長くは続かないので、はやく終われ!と思ってました
きょうだいに話すと「わかる!」「あれはヤダよね」と言ってたので、同じ現象がきょうだいにもあったようです
あの時のあの感情が何なのかは当時はわからなかったけど
淋しい……
じゃないだろうか?
どうしようもなく淋しい
あの感情に陥る条件をひとつだけ、今は突き止めているけど、速攻性の解消法がないんだよ……
どうしようもないから、どうしようもない
あれのことかもしれない
まあ、この辺りは人それぞれさまざまだろう
人に伝えても「何言ってんだよ」「くだらないこと言ってんじゃないよ」と言い捨てられそうなもの
だから、言えない
相手にされない
言えば逆に説教されるに決まってる
「私がいるじゃん」「みんな居るじゃん」とかね
うちに抱えてる気持ちは人それぞれですよ
その気持ちを(神聖かまってちゃんは)肯定してくれた!
受け入れてくれた
代弁してくれた
ってこと
のような気がする……(断言はしない)
これでふと思い出したのですが、
ちゅねは父親を殴ったことがあります
10倍に返されましたが(書いたことありましたっけ?)
で、ボッコボコにされた翌日に普通に出勤して、そりゃあ顔面がアレなもので何人かに理由を聞かれて正直に話したところ、「でもさ、何があっても親に手を挙げちゃダメだよ」という説教をくらい、
「(クソだな!)」
と思ったのでした(^^;)
どいつもこいつも何も知らないくせに!!!ていう心境でした
ひとりだけ「わかるよ」と言ってくれた人がいて、その時はすごく嬉しかったです
で、やっぱりというか、その人も親を殴ったことのある人でした(笑)
親だからって許されない事あるよな、とわかってくれたことが、どれだけ有難かったか
何があっても親に手を挙げちゃダメという人と、ちゅねとでは
そもそもベクトルが違ってるんですよね
これを「死にたい」という人の気持ちと合わせて考えれば
肯定してくれる、否定しない、これだけのことだけど、どれほどのものかわかる
ベクトルが違っても、どうにかすれば合わすことは可能そうだな……
このブログの記事の内容を大きく分けると、
感想考察を書いたものと、『進撃の巨人』の物語の構造を使って再構築したもの
この二種類があります
考察記事を読みたいという人向けに、我ながら説得力あるな~と思う秀逸記事をピックアップしたので、ご利用ください
(※『進撃の巨人』の他、神聖かまってちゃんの歌詞考察もいくつか(2023年8月現在5つ)書いておりますが、こちら(カテゴリー)からどうぞ)
リヴァイとヒストリアの比較
ミカサがエレンを殺した理由
【進撃の巨人】リヴァイはなぜ「エレン殺し」をミカサに譲ったのか
ハンジらしく(これはちょっと難解かも…)
↓こちらはアニメ曲スペシャルVer映像の考察記事
ヒグチアイ / 悪魔の子 (アニメスペシャルVer.) 映像考察
『UNDER THE TREE』アニメスペシャル映像考察/SiM(その1)
『UNDER THE TREE』アニメスペシャル映像考察/SiM(その2)
『UNDER THE TREE』アニメスペシャル映像考察/SiM(その3)
(上のほうに書いたものとダブりますが)『夕暮れの鳥』『僕の戦争』の歌詞考察
↓この記事もおすすめです
↓これは最終話が掲載された当日に書いた記事で、いま現在の考察と違っているところがあって混乱させてしまうかもしれないんだけど、説得力のある記事だと思う
↓一番人気の記事(冒頭の表紙考察が秀逸だと思ってます!)
再構築したものをまとめたのはこちら↓