【進撃の巨人】リヴァイはなぜ「エレン殺し」をミカサに譲ったのか

※最終話までのネタバレあり

 

tyune.hatenablog.com

つづきです

 

引っ掛け問題に引っ掛かって、昨日一日を無駄にしました

タイトル通りです

リヴァイはなぜエレン殺し(138話)をミカサに譲ったのか

難しいこと考えすぎましたが、弟子に譲った、弟子に任せることにした、的なことです

見た通り、そのまんまの印象で受け取ればいかった( ̄▽ ̄;)

正に、ちゅねみたいな奴を引っ掛ける問題でしたわ

言い訳ですが、最初はそう読んでましたよ

初心にかえっただけ(;''∀'')

 

59話『外道の魂』での、ジャンとのやりとりもそうですね

ジャンもジャンで、リヴァイを見極めようとしていたのだろう

ここで若造に任せてくれる人物なのかどうか、

(自分が任せてもらえる人物なのかどうか)

これがちゃんと、ヒストリアの時に活きてるわけだ

リヴァイが任せたから、ジャンもヒストリアに任せることにした

 

一応、ちゅねが引っ掛かったポイントを説明すると

68話『壁の王』のジャンと重ねるのは、当然ながらミカサに権利を譲ったリヴァイなんですが

この時のジャンの状況と、137話『巨人』のジークを合わせて共通点を洗い出して結論を出そうとしたのが、そもそも間違いでした(-_-;)

 

 

途中でわけわかんなくなりました

 

リヴァイがミカサに「エレン殺し」を譲った理由は、リヴァイの過去を遡ればよかったんですよ(とほほ)

そもそもリヴァイの理想はどこにあるのか?を探る

リヴァイの思う、なりたい自分はなんなのかということを突き詰めていけば、

これは前回結論を出したところなんですが、リヴァイの心のお師匠さんはケニーです

といっても、「力さえあればいいんだよ」のケニーではなくて

↑このケニー

愛想のねぇ死にかけのガキにパンを買い与えてくれた人

愛想のねぇ死にかけのガキのことを考えて、地下街を生きぬく術を教えてくれた人

 

ケニーはその後、リヴァイの前から姿を消し、敵となって現れリヴァイを本気で殺そうとしてきますが

結局最期は、自分が生き残れるかもしれない可能性を捨てていて、リヴァイ達にとって必要かもしれない脊髄液注射を譲ってくれました

リヴァイが来る可能性に賭けてたのか、調査兵団の誰かが来たら渡そうと思ってたのか(これは余り考えなくてもいい部分)

 

このことがあったから、80話『名も無き兵士達』でのエルヴィンとのやり取りを、リヴァイは好意的に受け取ったのだと思う

 

 

エルヴィンもケニーと同じで、下の世代(←リヴァイ自身も入ってます)のために、夢を諦めてエルヴィン本人が生きる権利を譲ってくれたと都合よく解釈

しかし未来のために、今を生きる未来ある若者の未来を奪うというのは本末転倒

なによりもリヴァイの趣旨に反する

そこの不都合を覆い隠すためにリヴァイの心の中に爆誕したのが「きれいなエルヴィン」

 

もし上司から「多くの人の未来のためにお前は死んでくれ」と命令されたら、ちゃんと断りましょう( ̄▽ ̄;)

断りづらかったり、断れなかったらとしたら、こっそりその場から逃げる方法がないか探すのだ( ̄▽ ̄;)

もし銃口が自分に向けられていたら……(あきらめるしかないかぁ…)

 

リヴァイがエルヴィンではなくアルミンに注射を打ったのも、下の世代を思いやる人になりたいという理想があったからだろうな

ケニーを思い出したから

 

84話『白夜』

 

エルヴィンもきっとそれを望んでいるに決まっていると思ったからです(俺が信じてついていったエルヴィンは、そういう人間であってほしいという、ただの願望)

 

まとめると、自分のことよりも子供(弟子とか、下の世代)のことを考えて、何かの権利を譲ってくれる、そういう人間でありたい

それがリヴァイの理想像なんじゃないかと思いました

 

だから、マルロ達を囮に使ったことはリヴァイの汚点です

潔癖症リヴァイは、一点の汚れも許さないので、ふきふきふきふき

 

あと、ジーク、リヴァイ、ミカサを並べて考察したことで見えてきたことがあるんですが

ジークはクサヴァー(遺品の眼鏡)

リヴァイはエルヴィン(遺品の『誓い』)

ミカサはエレン(マフラー)は、殺人を正当化することができる魔法ですわ、これ

 

自分を守る魔法であるけど、縛り付ける呪いでもある

 

本来のミカサは、人を殺すことも暴力を奮うことも出来なかったと思いますが、エレンが居る、エレンを守るという理由が出来たことで全てが正当化された

エレンの敵は私の敵

エレン、あなたがいれば何人でも殺せる

 

クサヴァー(遺品の眼鏡)がいれば、何人でも殺せるジー

エルヴィン(遺品の『誓い』)がいれば、何人でも殺せるリヴァイ

 

もしソレがなくなってしまったら、自分がただの人殺し、大量殺人鬼(殺人兵器)だったことになってしまう

そうなると恐ろしいから、魔法が解けそうになると自己防衛に走る

 

でも、ソレがなくなれば、人を殺す必要も無くなるという

やりたいことが他に見つかった時なんかは呪いそのものだよね

 

この時にリヴァイはすごく傷ついていますよね

自分達がやってきたことは正しいことだったのか?

根底がぐらつきかけた

(ハンジはリヴァイのことを心配して言い淀む)

そこへエルヴィンのこの顔

うーむ、もしかしてリヴァイは好意的に受け止めた可能性もあるな…

エルヴィンには何か考え(秘策)がある

だから俺は余計なことは考えず、エルヴィンにただ信じてついていくのみだ、みたいな?

「それを承知の馬鹿共の集まりが俺らだ」

60話『信頼』でも、人類の未来のために心臓を捧げる集団、それが調査兵団

その団長がエルヴィン・スミスだ!

と信じて疑ってない感じだよね

 

ほんとにただの馬鹿共の集まりだったというのが……

 

 

オレ、諌山創の芸術観というか美意識(?)について思ったことがあるんだけど

どこの部分に「美しさ」という基準を持ってきているのか、

というか、「美しい」と感じるのはどこか

たぶん「バランス」が絶妙なものを「美しいもの」としてる

残酷だけど美しいものとか

明るい曲なのに暗い歌詞とか

相反するものがギリギリのバランスを保つことで出来上がっているものというか

 

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こんな感じで、同じものを見ているのに、角度や見る人によって全然違うものが見えている、みたいなもの

ちょっとでも崩れると世界そのものがなくなるので、とにかくバランスが大事

作中ではザックレーの芸術(未完成)が出てきますが、あれはウケ狙いでもなんでもなく、本気の「美しい」を込めてると思う

 

その点で『白夜』は完璧だったけど、『あの丘の木に向かって』はバランス崩したな~と感じてるんじゃないかと

これもただの考察ですが、少なくとも【進撃の巨人】という作品では、そこを目指していたところはあるんじゃないかな、と思いました

※個人の感想です

 

 

ミカサの考察はこんな感じに少しずつ

慎重にやってこう(^^;)