【進撃の巨人】「心臓を捧げよ」孫娘編1

※最終話までのネタバレあり

 

※記事の説明

進撃の巨人】のストーリーが、ある一定のパターンを繰り返しながら進められていることに着目し、そのパターンを使って、空白(余白)部分にストーリーを当て込み、
そこから考察するという、かなり特殊なやり方をしております

以下の記事は、パターンを使って再構築したもの(ストーリー)となります

 

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『るるちゃんの自殺配信』(その2)追記あり

2023.5.12追記しました

 

記事あげないと、だんだんと自分の中でもハードル上がりまくってしまうよ(^^;)

 

 

『るるちゃんの自殺配信』歌詞解釈その1

youtu.be

 

『るるちゃんの自殺配信』の歌詞解釈は、以前に書いた通りです

 

tyune.hatenablog.com

 

るるちゃんが自分を置いて自殺配信することを選んでしまったのを悲しむ猫のストーリー

 

友達ができない帰り道
夕暮れは時々優しく
飛び交うデータの中で
街のBluetoothがあたしを壊した

(一人称、るるちゃん)

 

街のBluetoothってのは、陰口みたいなものかな

こそこそ話で、時折はっきりと自分宛ての悪口が聞こえてくる、みたいな

 

中央線に飛びこんで
傍迷惑な奴だと言われて
いつだってそこにいたんだ
少女はさっさと死んじゃった
FBIに聞いたって分かんない
彼女のメッセージ
いつだって叫んでたんだって

(視点が第三者に移動)

 

チャネリングで夜空広げてく
野良猫とワルツを踊った
飛び交うデータの中で
街のBluetoothがあたしを壊した

(一人称、るるちゃん)

 

UFOに飛び乗って
反抗期じゃないのよママ聞いて
いつだって1人でいたんだ
少女はさっさと死んじゃった
FBIに聞いたって分かんない
彼女のメッセージ
いつだって叫んでたんだって

(視点が第三者に移動)

 

ここで出てくるUFOに飛び乗ったのは誰か

これをちゅねは野良猫としました

るるちゃんとワルツを踊っていた野良猫です

 

猫はUFOに飛び乗って、るるちゃんちに行く

「(るるちゃんが電車に飛び込み、それを配信したのは)反抗期(が理由)じゃないのよ、(るるちゃんの)ママ聞いて!」

 

ただの自殺ではなく配信なので

少なくとも自分が死ぬ様を見せつけたい、という意思がある

社会全体に対してか、それとも特定の誰かに向けてなのか

 

「当てつけ」という言葉があてはまると思うのですが

 

もうひとつの可能性として、「若いまま(美しいまま)死にたい」「自分の死を美しく装飾したい」というのもあって……

こちらが作り手の意思を離れて独り歩きしている状態なんじゃないかと、ちゅね的に思ってる

これについては、自分でも少しはわかる…という程度なので、

というのは、10代の頃には、若いまま死にたいという漠然とした気持ちが、あったといえばあったので

将来(大人になること)への不安から来るものもあるかなあ?

今でも、腐乱死体よりは、かっこよく死にたいという気持ちはありますし

この辺りから掘り下げることも出来るかも

というわけで、こちらはまだ語れる状態にありません

 

大人になってわかったことだけど、大人って楽しい(とちゅねは感じてまして)

それが若い頃には分かりづらくて、早く大人になりたいなーと思えるようにしてもらいたいと、以前からなんとなく思ってます

 

話を猫目線に戻しまして

るるちゃんが誰かに当てつけるために自殺配信したというのなら

普通に考えれば親に対してだろう、と警察(?)や、るるちゃんママは結論付けようとしていた

 

るるちゃんはちょうど反抗期だったし、

反抗期って、理由も無く親に当たりたくなるよね、というような、なんだか曖昧な理由で片付けられてしまいそうだったので、猫が必死に「違うのだ!」「そうじゃないのだ!」とママに伝えようとしている

 

FBIに聞いたって分かんないよ、彼女のメッセージは

理由はいつだって叫んでた

ただ見てなかっただけでしょ

と、猫はママを非難している

 

受験勉強が終わったら
ネコと話せる魔女さ
自殺配信してお墓でも立てよう
この最低なきもち無くなる前に

(一人称、るるちゃん)

 

ここにちょこっと創作…というか

補足いれます

 

学校の帰り道、いつもの時間、いつもの場所に、その猫がいて

いつの頃からは、猫はるるちゃんが自分の元に来てくれるのを楽しみにするようになっていた

一方のるるちゃんは、いつの頃からか自殺することを決めていた

方法も決めていた

そんなことなど露知らない猫は呑気に「もっと一緒に居たいにゃ~」と、るるちゃんに伝える

そんな猫にるるちゃんが言うわけですよ

 

「受験勉強が終わったらずっと一緒に居られるよ」

 

中央線に飛びこんで
傍迷惑な奴だと言われて
いつだってそこにいたんだ
少女はさっさと死んじゃった
屋根の上で猫たちと
頭が悪い人間見下して
いつだって叫んでたんだって

(視点が第三者に移動)

 

受験勉強が終わったら
ネコと話せる魔女さ
自殺配信してお墓でも立てよう
この最低なきもち無くなる前に

(一人称、るるちゃん)

 

中央線に飛びこんで
傍迷惑な奴だと言われて
いつだってそこにいたんだ
少女はさっさと死んじゃった
FBIに聞いたって分かんない
彼女のメッセージ
いつだって叫んでたんだって

(視点が第三者に移動)

 

こうして歌詞の人称整理をしてみたら、

こう言っちゃなんだが、

ちゅねの歌詞解釈は合ってるな……(と思う)

 

ので、

自殺配信が今度もし起きたとしても、曲自体に問題はないと思うのですが

なぜ、曲が自殺の原因として槍玉に挙げられてしまうのかという問題はある

これについては

shinseikamatte.hatenablog.com

↑こちら、読みましたけど、

問題の矛先を神聖かまってちゃんに向けている以外は、かなりよく分析されていると思いました

 

ですが

 

このアニメさえ見なければ、あの日、あの場所で電車に飛び込んでライブ配信とか、、まず起こらなかったでしょう。

 

この記事の問題点は、「アニメさえ見なければ」と言い切ってしまってるところです

それを言ってしまうと、刃物がなければ~、ロープが無ければ~

そもそもライブ配信が出来てしまうスマホが無ければ~、ということにもなる

 

おそらく、の子自身もちゃんと『るるちゃん』の問題点の分析をしている、という印象をもっておりまして

それが『僕の戦争』公式MVに反映されている(のではないか)

『僕の戦争』と『るるちゃんの自殺配信』の関係が、入れ子のようになっている感じ

 

あと↓こちらに出てくる『ロミオとジュリエット』の話とか

ch.nicovideo.jp

 

ロマンティックに消費される「死」、ここに問題があると見た

ここを自分の力量を超えてうまく書いてみようなんて思ってること自体、そもそも間違いなのかもしれない

 

ちゅねの見たまま感じたままを書くのは容易い(^^;)

 

「人間どもはバカだにゃ~」

というセリフは、『るるちゃんの自殺配信』の終わりの方で歌われるものです

 

普通に考えれば、るるちゃんが言ってるんじゃなくて、猫と考えるのが普通ですよね?

 

…というのは、まあ、ちゅねの主観として

 

るるちゃんが猫になりきり、自分以外の人間どもを「バカだにゃ~」と言ってると捉えることも出来る

けれども、その割には公式MVには「猫」は出てこない

ねずみだ

ここが割とミソなんじゃないか

というのも、まあ、ちゅねの主観として

 

の子自身、ファンがMVを真似て自殺配信することを想定していなかったことは、当時の配信からも伝わってくるので、

twitcasting.tv

 

ここは別にちゅねの主観を強く打ち出してもいいのかもしれない

あくまでも、ちゅねの書いた記事を読んだ人の判断材料になればいいので

 

2023.4.13に起きた自殺配信直後のライブです

twitcasting.tv

この日の『るるちゃんの自殺配信』の猫語部分を抜きだす

(聴き間違いあるかも、です)

 

「人間どもはバカだにゃあ~」

「猫のように生きれば、まだまだ…」

「そのうちやってみよう」

「人間どもを使って気楽に生きれるけれども」

「でも、猫だって辛い時もあるんだにゃあ~」

 

改めて『るるちゃんの自殺配信』の公式MVを見てみよう

 

全編通して、るるちゃんの頭の中に作られた電脳世界……ですよね?

 

電脳世界での、るるちゃんの姿が、おしゃれでポップな姿(アバター)なんじゃないだろうか

 

ずっと頭にへんなものついてますし

 

で、実際のるるちゃんの姿がPVの方であり

『僕の戦争』MVの、どちらかと言えば地味で冴えないイケてない子

(“るる”という名前も本名ではない)

 

www.youtube.com

 

まあ…、の子がやると全部可愛くなるって意見はあるだろうし

異論は認めますけど

 

PVの方も、セーラー服の上からパジャマ着ることで、外に居ながらも夢の中へ逃避していることを表現しているようにも見える

(最初にパジャマに気付いた時、すごい発想だな…と思いました)

 

たしか『マイスリー全部ゆめ』って曲で、自分は(表現上で)自殺した、というようなことがどこかの記事で書いてあったか、配信で語ってたかしていて

つまりはそういうことなんじゃないかと

 

ちょうどちゅねは、ネット上から消えようとして自殺配信のようなことをしてしまったことがありまして

でも実体は生きてるわけじゃないですか

あれが正しく『るるちゃんの自殺配信』の再現だったんじゃないかと

(ちょっと違いますね)

 

youtu.be

僕の戦争の歌詞解釈↓はこちらに書いたのですが

tyune.hatenablog.com

3番の日本語歌詞の部分が、

学校には居たくないけど、でも家にも帰りたくない、という内容で

それ以外(1番、2番)は、妄想(想像)の世界と捉えることができるのも

『るるちゃんの自殺配信』と同じだ

 

るるちゃんのコンセプトは、

友達がひとりも出来ない、クラスで孤立してる子ですよ

 

↑現実のるるちゃん

↓るるちゃんが想像する、可愛いるるちゃん

(どちらかといえばスクールカーストの上位にいるようなイケてる女の子)

 

聖域ブロマガでも書かれてる通りに

休み時間、机で寝たフリして時間が過ぎるのをひたすら待っていた
昼休み、学校裏の誰もいない階段の陰で時間が過ぎ去るのを待っていた
放課後、悔し涙を流しながら夕暮れの帰り道を歩いていた

『るるちゃんの自殺配信』に登場する子は、こういう子であり

まったくもって歌詞通りだと思う

 

(ろろちゃんの件は知っております)

 

2023.5.12追記 歌詞解釈その2

 

『るるちゃんの自殺配信』のちゅねの歌詞解釈は、

 

るるちゃんが自分を置いて自殺配信してしまったことを悲しむ猫のストーリー

 

これは今のところ変わっていないのですが、

なぜなら、この解釈が気に入ってしまってる

ホラー要素もありますし

猫が猫語で一生懸命伝えようとしているのに、猫語だから人間には伝わらない

という所が特に気に入っている

 

けど、これはこれで、今回は脇に置いておきます

 

友達ができない帰り道
夕暮れは時々優しく
飛び交うデータの中で
街のBluetoothがあたしを壊した

 

「あたし」が「少女」の自殺配信を見た(聞いた)
ということなんじゃないかな?

 

という意見をコルクラボ内(一時期お世話になりました)で貰いまして、

しばらく考え込んで、「なるほど」と思った

ストーリーというか、着地点は同じ(人間どもはバカだにゃあ)です

でも、見える景色はかなり変わってくる

なんなら、ちゅねの解釈よりも辛辣かもしれん(^^;)

 

www.uta-net.com

ja.wikipedia.org

(元ネタ)

 

登場人物はネットアイドル(配信者)と、リスナーだったので

その関係を『るるちゃんの自殺配信』に当てはめた時に、ちゅねはリスナーを猫としたわけです

 

屋根の上で猫たちと
頭が悪い人間見下して
いつだって叫んでたんだって

この歌詞の部分が、配信者(るるちゃん=アイドル)と、アイドルの配信を楽しみにしていたリスナー(屋根の上の猫たち)と解釈したので

「あたし」=るるちゃん

「猫」=るるちゃんの友達

としました

 

んが、「あたし」がるるちゃんじゃなくて、リスナーのひとりと見ることも出来る

(目からウロコでした…)

 

とすると、

 

まず「あたし」には友達がひとりもいない、これは確定事項なので

sp.ch.nicovideo.jp

休み時間、机で寝たフリして時間が過ぎるのをひたすら待っていた
昼休み、学校裏の誰もいない階段の陰で時間が過ぎ去るのを待っていた
放課後、悔し涙を流しながら夕暮れの帰り道を歩いていた

そんな「あたし」の楽しみが、スマホの中に広がるネット世界

ということなのかもしれない

 

例えば飛び交う情報の中で、「あたし」は「るるちゃん」というアイドルを見つけた

「あたし」のアイドルだった「るるちゃん」が自殺してしまった

=街のBluetoothがあたしを壊した

 

この解釈の場合は、語り手は最初から最後まで「あたし」になります

「あたし」が「るるちゃん」のことを語っているので、「少女」や「彼女」という言いまわしになる

(ちゅねの場合は、「るるちゃん」と「猫」を明確に分けで、交互に登場させた)

 

↑地味で冴えない「あたし」

 

↓ネットの中で見つけた「あたし」のアイドル

可愛い可愛い「るるちゃん」

「あたし」とは違って、ネットのみんなの人気者

 

そんな彼女が、自殺してしまった

なぜ!?

 

ってところで、女子中学生自殺配信事件のwikiを読んでみると、

自殺配信の理由が

「自殺配信がしたい。私はそういうのにあこがれていました。いっそ死んじゃったらみんなびっくりするんだろうなぁ。(中略)自殺配信いきなりやったら伝説だ」

 

注目を浴びたいというか、みんなを「あっと思わせたい」みたいな感じですよね

 

以前からちょっと思ってたことなんだけど

神戸連続児童殺傷事件と似ているところがあるような気がするんですよね……自殺配信て

現実世界を使った「表現」という点が共通しているんですよ

 

で、ぶっちゃけちゃいますけど、神戸児童殺傷事件の学校校門に……ってニュースが流れてきた時のちゅねの心境は「あー、やっちゃったよ…(馬鹿だな)」だったのです

ちゅねはやりませんけど、気持ちとしては「わかる」

 

だからもしかしたら、

てか、もしかしなくても、自殺配信について、の子自身が抱いた率直な気持ちが「あー、やっちゃったよ…(馬鹿だな)」だったんじゃないだろうか

 

というわけで、ちゅねの解釈より、こっちの方が辛辣ですよね(^^;)

 

受験勉強が終わったら
ネコと話せる魔女さ
自殺配信してお墓でも立てよう
この最低なきもち無くなる前に

 

ここの解釈をどうしよう

よくよく見ると「猫」じゃなくて「ネコ」なんだな

るるちゃんじゃなくて、「あたし」の受験勉強が終わったらネコと話せる魔女さ、

自殺配信は、電脳世界でやる表現上の自殺配信で、「あたし」は「るるちゃん」になり切って中央線に飛び込んで自殺する

 

最低なきもち、ってのは、

「あたし」のアイドル「るるちゃん」が馬鹿な理由で死んでしまったので、

「あたし」の方がよっほど悲惨で辛いのに

だから今「あたし」はとっても最低な気持ちで、

この気持ちが無くなる前に、「あたし」は「るるちゃん」の姿を真似て電脳世界で自殺配信する、

 

(自殺配信妄想中)

(妄想終了)

 

みたいなことかな?

 

 

ネズミが象徴することについては…

ちゅね的には、ネットアイドルは猫(リスナー)の餌食になったという意味ではないかと思った

 

あと、マウスとマウス(コンピューターを操作するやつ)とかけてるとか

 

 

 

 

2013.5.10ライブ、猫語

「人間どもはバカだにゃあ」

 

続きはこちら↓(現在は終了しております)

 

perfectmusic.zaiko.io

 

youtubeにUPされてました

youtu.be

 

(聞き取れない(^^;)同士で苦しめ合って(?)(ちょっと聞き取れない)

人間社会は本当に なんでもないから

かわんないことは(?)

うちら猫は見てるんだから

ずっと(ごにょごにょごにょごにょ)

(聞き取れない(^^;

 

人間どもはバカだニャあ

 

 

tyune.hatenablog.com

 

『るるちゃんの自殺配信』神聖かまってちゃん

取り急ぎ

書き途中だったんだけど、あげられるところまで

 

youtu.be

 

この曲は、あまり好きじゃなかったです

「自殺配信」というテーマだけに不謹慎だあ、と思いました

曲自体も、どこがいいのか、ずーっとわかりませんでした

(あとで心境の変化が来ますので、ムッとした人は堪えてください)

 

神聖かまってちゃんが好きになってからも

なんで『るるちゃん』て人気曲なんだろう、って疑問に思ってました

この曲だけはどうしても拒絶反応が起きてしまいました

(あとで心境の変化が来ますので、ムッとした人は堪えてください)

 

 

でもライブでは何度も歌われているようですし

の子のTwitterをみれば、『るるちゃん』のMVが固定されているので否応なく目に入ってくる(^^;)

 

ある時に気が向いたので曲を聴き、ちゃんと歌詞を読み返してみました

たしか↓この動画がyoutubeにあがったのがきっかけ

youtu.be

www.uta-net.com

 

ひょっとしたら猫目線で見た世界なんじゃ……?

と、見え方が変わったことで、ぐっと曲に近づくことが出来たような気がしました

 

るるちゃんと友達になった猫が、るるちゃんの死を知るところから始まります

 

猫はいつものように、いつもの場所でるるちゃんを待っていた

るるちゃんが死んでしまったことを信じられない猫は、るるちゃんが死んだという場所(中央線)に駆け付ける

 

そこで目の当たりにしたのが世間の冷たさ

 

このままでは友達のるるちゃんが「ただの傍迷惑な奴」になってしまうと猫は危機感を抱いた

るるちゃんが毎日猫に話してくれたこと

本当のるるちゃんの姿を伝えなければと、猫はるるちゃんのママのところに飛んでいく(UFOで)

「るるちゃんが自殺配信したのは反抗期が理由じゃないのよ!」

「(るるちゃんの)ママ聞いて!」

と猫は必死に訴えるが、ネコ語だからママには何言ってるのかわからない

 

youtu.be

↑ママに必死に話しかける猫のイメージ

 

その時に猫は痛感する

るるちゃんだから自分とお喋りできただけで

猫である自分がどう頑張っても、普通の人間には猫語は伝わらないのである

 

るるちゃんともう会えないことに悲しみに暮れる猫だったが、

るるちゃんが自分とワルツを踊ることよりも、お墓を立てるほうを選んだことが、一番悲しいことに気が付いた

自分はるるちゃんに捨てられた

 

それを認めた猫は虚しくなって街を去って行く、みたいなストーリーです

 

「人間どもはバカだにゃ……」

 

うなだれた猫の後ろ姿

 

【完】

 

これがちゅねの歌詞解釈です

『るるちゃんの自殺配信』は過去に2度ほど考察を書こうとしてました

一度目は上で貼り付けた絵画教室の動画を観て、ネコ目線の解釈が見えた時(9月)

二度目は『卒業式』『僕の戦争』と記事を書いて、『卒業式』の反応が割と良かったので、もうちょっと神聖かまってちゃんカテゴリーの記事を増やしたくなった時(11月)

 

色々迷って、最終的にやめてしまいました

 

 

ちゅねのスタンスを書きます

これは自戒も込めて

受け手として、表現者が表現する気を失ってしまうことだけは避けるべき

表現者は、不特定多数みんなのもの

ただし表現されたものは自分のものにしてもいいと思っている

この“表現されたもの”というのが、実に境界があいまいなんですよね

漫画とかの場合はハッキリ線引きできますが、神聖かまってちゃんとかになると、どこまでが表現なのかという問題が出てくる

 

まあ、ここではふわっとしておこう

 

ちゅねが以前から頭に来ていたこと

表現者からみんなへ配られた表現物

ちゅねだけのものになった表現物が、無遠慮に傷つけられることです

そこで「自分は、これのここが好きです!」ということを主張することで、無意識レベルでキャッキャしていた人達を牽制した、という過去があります

ちゅねの好みって大衆的なんですが、たまーに外れることがあるみたいで

「ここが好き!」「ここが素晴らしい!」ということを強く主張し続けた結果、なんと表現者が逃げてしまいました(板挟みがつらすぎて)

 

表現者側にも多様な好き好き攻撃を受け止める器が必要なことをその時に学びました

ちゅねはその時の経験を活かしてブログ書いてるつもりだったりするんだけど

( ̄▽ ̄;)

 

 

『るるちゃんの自殺配信』ついて、ちゅねが興味を持った箇所は、作り手側ではなく受け手側の気持ちです

「この曲で救われた」とコメントを残している人たちの気持ちが謎だったので

そこが知りたい

と、思いました

 

猫目線で解釈した人は少数派だと思うので

そうではない視点で、それでも「曲に救われた」という人の気持ちが知りたい

 

でも理解できることはないかもな~と半ばあきらめてもいました

ですが、今年の、たしか元旦だったと思うんだけど

もしかしたら2日だったかもしれないけど

 

無性に『るるちゃんの自殺配信』が聴きたくなってしまいました

で、夜、寝るときに、枕元にスマホを置いて曲を流したら、「あー~(T_T)」と心に沁みてきちゃって、涙で枕を濡らしました

………

冗談じゃなくて、本当に泣いてしまったんですよ!

ああいう状態の時の、あの温かみのある音ってヤバいのですね

ということを体感できました

 

その時の状況です

 

ちゅねは年末に↓この記事をあげました

tyune.hatenablog.com

 

上げた後に、またちゅねは誰かを傷つけるんだろうなあ、と思いました

記事を書くためとはいえ『自分らしく』を堂々と使ったこと

別に名称を出さなくても書くことは出来たと思うけど、書いた方のが説得力ありますからね

完全なる利用です

あの人とあの人はどう思うんだろうかとか

悪いと思いながらも、エゴの方が勝ちました

あとちょっと、自分の過度な期待をかけてしまったかもしれない箇所があるし、その他諸々で「あー、自分てダメだなー」状態になってしまいました

 

そこから延々とネガティブモードですよ

 

そもそもちゅねがこんなことを始めなければ誰も傷つかずに済んだんだよなーとか

完結後の一気読みだったら絶対に気付かなかった

なんて運命のいたずら

ちゅねなんか居ない方がよかったんだ

 

と、まあ、こんな感じにうじうじうじうじ、めそめそめそめそ

そんな時だったんですよ

『るるちゃんの自殺配信』が脳内で聴こえてきたのが

 

ともだち―ができない か え り み ち ♪

 

まさにちゅねのことじゃねーか(-_-;)

って思いました

 

それで寝ながら曲聴いて泣くわ泣くわ

 

『るるちゃんの自殺配信』が心に響いた人って、出だしのこの部分が一番大きいのではないだろうか

「あ、自分のことだ」って、ぐいっと心を掴まれて引き込まれる

 

それで聞いてみると、あの陽気な曲調です

なんていったらいいんだ?

ちゅねの場合、絵画教室の映像が頭にこびりついてるせいで、あの赤い世界観に包まれたのですが

 

必要になった時に、ちゃんと歌いかけてくれるんだなあ、という気持ちでした

(少しばかり遠藤周作『沈黙』のラストを思い出した)

 

 

そしてそして、今一度歌詞を読み返してみたのですが

………おや?(^^;)

 

あー、るるちゃんと自分の状況が重なってるのか

ということに気が付いた(笑)

 

 

街のBluetoothがあたしを壊した

 

傍迷惑な奴(だと思われてるだろう)

 

いつだってそこにいて叫んでた

 

いつだって一人

 

ごにょごにょごにょ人間見下して

( ̄▽ ̄;)

 

いつだって叫んでた

 

 

で、ちゅねの自殺配信が嘘の日だったわけね

たしかに

確かに歌詞と当てはまってたわ、ははは

 

そしてこのブログがお墓になるってわけね

ははは

 

貴重な疑似体験ができました

 

でもちゅねの実体は死んではいないので、

後々になって、悲しませてしまったなとか、迷惑をかけてしまったな、巻き込んでしまったな、ということに気付いていったんだけど…

謝罪をしたい人、お礼を言いたい人、たくさんいます

ちゅねは「やりたいからやってしまった」

あれによって傷ついてしまう人の気持ちを考えなかったのは確かです…

 

 

というわけで、ちゅねは『るるちゃんの自殺配信』に救われた側になることができたので

ちゅねがやるべきことは、表現者神聖かまってちゃん)と表現物(るるちゃんの自殺配信)を守りたいってことなんだけど

どうしたらいい?

というのは、ちゅね自身が考えるとして

それ以外については考えないよ(出来る限りの配慮はしますけど)

 

どうアプローチすべきか色々考えこんでて、なかなかこの先を書き進められなかったんだけど

感情に巻き込まれちゃダメだよな~とは思いました

あくまで客観的に、俯瞰的に捉えることを意識します

なるべく早く書ければと焦ってるんだけど、ポンコツ過ぎて先が思いやられるんだ

あー時間をください

 

というわけで、続きます

 

自分の存在と表現を責めちゃダメだぞ

絶対に

わかってるよね?

ざざっとだけ読んだけど、

根本的「死」の原因はあの時も今もここにはない

わかってるよね?(念押し)

 

なんていってるちゅねが「居ない方がよかったんだ」とか言ってる記事なんですが(-_-;)

結構いい記事だろ

気付かずにヘマやらかしてたらスミマセン

 

 

tyune.hatenablog.com

 

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