九十九はつ目の巫女日記(7)

巫女日記(6)で出したこの写真

狐の顔に気がついたきっかけは、雲の形がどことなく妙だったから

どこが妙だったかと言うと、写真上部にハート型のような流線形があるじゃないですか

そこが気に掛かっていたので、翌朝に見た動画のイスラエルハマス戦争の写真の爆煙の形に「あ…」となってしまいました

↓こちら

左の煙にも似ていますし、右側の煙も横にするとかなり似ています

(なによりも、写真を出した翌日に、この動画がyoutubeのホーム画面に表示されたというのがですね、もう偶然ではないのですよ…)

表示されたものを全て観るわけでもないので(この動画も長さが40分じゃないですか)短いものは何本か見れますけど、長さのある動画を最後までがっつり観るのは1本です

この日、自分的に気になったという理由だけで選んだ動画の中に出てきた写真だったわけですから…

 

動画はこちらです

youtu.be

 

私の中で、これはあれで、あれはこれだな、というものはいくつもあったのですが、そちらは個人的に処理する情報として受け取ります

 

昨日は北海道地方で震度4の地震があり、それについてのあれこれは、Xで書きましたが、こちらでも改めて書き記しておきます

 

 

ほら、わたくし、複数の神様を(略)
自分が簡単に出来そうなものから手を付けるのではなく、きちんと優先順位をつけなさいということだと思ったので、そうしようとしたところ稚日女尊からストップが入りました
私はもう過酷なことをしなくてよい(これまでやってきたことで充分)

心身共に自分に鞭打つな、得意なことをやれ、自分を大切にしろ
他の人がやってくれるから、その人たちのことを少しは信じろ、
ということかしら?(^^;)
どうやらそうらしいです
リアルで会った稚日女尊は、まるで太陽のような眩しくキラキラとした笑顔で優しくそうおっしゃってくださいました

(※もちろん世を忍ぶ仮の姿で現れたのですよ)
(※私の神託の受け方は固定記事に書かれている通りですので)
(何度でも書きますが、その時の私の状況(心、体)に対して、相応しいものが送られてきてはじめて神託となります)

 

 

というわけだったので、あれから自分の得意分野を活かしたもの、自分がやりやすいもの(やりたいもの)について考えこみました

ずーーーっと考えてました

 

とりあえず、自分に課せられた責任について、果たせたようです

借金で例えるなら返済済み

これについては、稚日女尊以外の神様(稲荷信仰の関係)が「それでは困る」と焦ったようでしたが

稚日女尊の想いは「終わらせる」ですから

 

私も、あとどれだけ残されているのかわかりませんが、次の世が用意されているとしても、また稚日女尊と繋がることができるのかも不明ですし、繋がることが出来た今の自分の人生の終わりに、出来る限り悔いが残らないようにはしたいのですが

 

……とりあえず美味しいものを食べること

身体が不自由にならないように健康に気をつけること

家族に長生きしてもらうこと←一緒に暮らすパートナーとして、これ以上の人はいない(不満が無いわけではない)

 

話がどうしても脇にそれてしまう

 

色々ひっくるめて、じゃあ、稚日女尊の巫女として私がやることってなんだろうか?

ということを突き付けられたのですよ

禅問答です

一瞬、力が取り上げられたのかとも思いましてね

あー、終わりかーーー、とも思ったのですが

 

私の心境は、『チェンソーマン』のデンジと同じです

デンジは、チェンソーマンであるポチタが自分の所に来てくれて、自分を選んでくれたことが嬉しいわけでしょ

 

それなら、私がやることは?

 

イスラエルと日本の意外な繋がり』の動画と「私」が実は繋がっているのです

前回の巫女日記(6)で、母親が別れを告げてきたので私はそれを受け入れた話を書きましたが、マサダ砦を母の墓のある場所と捉えることが出来るのです

 

とすると、くどくど書かなくても結論があっさり導き出されますよね?

 

母の墓の話は、イザナミの神話にも絡めてありましたので、恋しいからという想いだけでイザナミの元に行くという行為は、イザナミを辱めることになり、結果としてイザナギイザナミの怒りを買ってしまった

 

つまり、イスラエル建国は過ちであり、神の怒りを買う行為(ということになるのですよ)

 

つ、ま、り、

 

神の思し召しは、すべからくイスラエルは支持するな、です

 

 

なので、これが事実であるなら、今でもイスラエルと繋がっている政党であるというのなら、参政党は神に楯突くことになってしまうのですよ

 

軌道修正ができるのならしたほうがいいですし、

出来ない、無理だ、というのなら、

日本の未来を信じて参政党についていくことを決めた方々は、離れるべきです

日本神話を信仰し、神社というものを大切に想う方は特に…(これが理由で参政党にいるというのなら)

 

「ぽちたま」さんと毬谷友子の言う通りの政党であるのなら、信じてついていっても、先に待っているのは、どうも戦争のようですね

 

なんであれ、宗教戦争と呼ばれるものに、その宗教と関係のない日本人が首をつっこむことは誤りです

他国の神を守ることに熱中すれば(愛を注げば)、それだけ我々の日本を守ってくださる神々の防御が手薄になるということです

親鳥が、他の巣を守っていたら、自分の巣に産んだ卵や雛鳥が天敵に食べられてしまいますよね?

 

宗教戦争とか関係ない」と思った人たちは、自らの認識不足を恥じなさい

 

私がいまいちど皆様に考えていただきたいのは、動画でも最後、問いかけされていましたが、日本はどのようなアイデンティティを持った国なのでしょうか?

ということです

 

日本に昔からある神社仏閣、遺跡、

日本の文化とは?

日本の神々とは?

山岳信仰、万物に神が宿るとされる八百万信仰、

 

日本での集団自決の例として、動画では太平洋戦争の沖縄の件が出されていましたが、

日本にはその他にも有名なものがありますよね?

 

たとえば白虎隊

たとえば赤穂浪士

 

 

……美談にしたい気持ちはわかりますけれども、

なんであれ当時のリーダー格が「潔く死を選ぼう!」というような空気を作れば、あとは同調圧力が発生したであろうことは想像に難くない

本当に恐ろしいのは君主じゃなくて、「隣人」「仲間」「家族」「友人」からの冷たい視線、ですよねぇ

トップがこれだと、全滅に繋がる典型なんじゃないかな

引き返す勇気というか、

八甲田雪中行軍遭難事件とか、、、

 

 

ちなみにこれ6月8日の夕焼けの写真です

綺麗なのは間違いないのですが、色合いがとても珍しい

 

↓ほぼ同じ時間帯の夕焼け写真

 

雲に特徴があったように思う(←下書き状態の日記からそのまま持ってきた文章です)

(狐の顔の写真と、雲に特徴がある繋がりです(^^;)

 

私が撮った写真は、めらめらと燃え上がる炎のようなんですよね

私が観光に訪れた時に現地にあった説明文の看板に、夕陽が火事に見えたと書かれていたので、それでつい白虎隊の話を思い出してしまい、日記に記そうとして機を逃したというソレがこれでした

 

(この夕焼けの写真を撮った直ぐ後に、茨城県で震度3の地震があったのでした)

 

画像の流線形の感じがよう………

 

というわけで話をマサダ砦に戻すと、後世にまで残った文面では美しく気高く勇敢な美談にしか見えませんが、実際の現場ではどうだったかなんで私達にはわからないじゃないですか

 

難攻不落の要塞だから絶対に落とされることは無いというリーダーの言葉を信じてついてきたのに、たったの2、3年しか持たなかったなんて…、と悲嘆し絶望し発狂した人もいるかもしれないじゃないですか

こんなことになるとわかっていれば、要塞に立てこもることを選ばず、余裕があった時に国外に脱出していた(生き延びた人が居たからこそのイスラエル建国なわけですし)

もしかしたら「あんな要塞、すぐに陥落する」と必死で止める声もあったかもしれないじゃないですか

夫の手に掛けられる正に寸前に、脳裏に浮かんだのは「そんなヤツについていくから…」という幻覚幻聴とか、

「ハズレくじを引いてしまった」「子供の命を守るためだったのに」という自身の後悔の声だったかもしれません

 

それこそ「なぜ神は我々を救ってはくださらぬのか!!!」という恨み言だったかもしれませんよ

 

あの文面だけでは何も分からないですし

「国の為に死ぬほど名誉なことはない」についても、それをもって、そのおっちゃんが素晴らしい人物だったとか、「日本人の精神性は高い」にはならないと思うのですよ

 

私が父から聞いた話は、父の田舎で、近所の家の息子が軍人(上官クラス)で終戦後に田舎に戻ってきたけれども(凱旋帰国みたいな感じで)、物凄い偉そうな態度で、自分の親をまるで家来のように扱っていたそうです

 

インパール作戦とか、明らかに無能な人物が作戦を決行し、多くの人を無駄死にさせたわけじゃないですか

この無能だって、紛れもない日本人なんですよ

 

 

フジテレビの件で顕著になった社会風土というものがあるじゃないですか

ああいったことが許されていた時代があったのは事実で…

でも、そういった社会風土の中でも、「たとえ許さたことだったとしても、目の前に差し出された女性たちを前に、そんなモラルの無い事は出来ない」とした日本人がいたことも確かだと思います

時代が移り、現在は立場が日本と海外で入れ替わり、日本人女性が売春をする側になった

援助交際パパ活、などなど名称がポップな売春をして大金を得ることが珍しく無くなっても「そんなモラルの無い事は出来ない」とした日本人がいることも確かだと思います

ただ、どうしても風俗に身を落とさざるを得ない事情がある人もいるので、一括りにはできませんが、、その人たちも、遊ぶ金欲しさに売春する人たちとは一緒にしてほしくないのではないかとも思います

 

マサダ砦に話を戻しますと、砦に立てこもったユダヤ人は、敵であるローマ軍の能力と執念を侮っていたのはないかと思います

砦へと続くスロープを造られてしまうとは想像もしなかったのではないか

すべては指導者の見通しが甘かったために、敵に殺されるか、自分で自分達を殺すかの最悪の二択しかなくなってしまった

 

栄光の死を選んだ人々と言えば聞こえがいいですが、敵の能力を侮った人々と言い換えることもできるのです

 

 

チョーさんが言うように、ユダヤ国も何か原因があって結果(滅亡)があったのです

なんか……なんとなく………見えてくるような気もしないでもないですね

 

 

 

以前は霊とかそういった目に見えない存在など無いと思っていた私ですが、科学では絶対に証明できないであろう出来事が日常茶飯事に起きている今では、

目に見えないものは存在しないと言う方のが無理があるとキッパリ言いきれます

だから「神様の言うことをきかないと起きてはならな事が起きる」という言葉が、私の不安を掻き立てるのです

 

どこもかしこも神様の言うことをきかない人たちで溢れていますから

 

神様は神様であって、人間は神様ではないのです

神様の声に反していれば、いずれ人間に罰が下るのは当然の成り行きなんですよ

よく無視できるな、と、逆に不思議ですし、恐ろしいかぎりです

 

罰についても、罪を犯した本人に直接罰が下ることもあれば、その子供が代わりに受けることも

どこで出るかはわからないんですよ

ですが、ユダヤ王国もローマ帝国も滅びたというのなら、先祖の行いは必ず子孫が受ける理になっていると断言できるじゃないですか

 

因果は巡る

 

 

日本という国は、いつ頃から神の声をきかなくなったのか、

瀬織津姫を隠すようになったこととか、

私達の祖先がそういったことを続けていたというのなら、私達全員に、ご先祖様がおかしつづけた罪の報いを受ける資格が生じているのですよ

海外に脱出できる人はするでしょう

そして祖国がなくなれば流浪の民となるのでしょう

 

イスラエルと日本の意外すぎる繋がり』の動画と、奇妙な類似性があった動画があります

こちらをご覧ください↓

youtu.be

 

原爆投下2か月後に、脱臼で右腕が不自由になった男性が、左腕で伝言を残す映像

 

戦いの最中に左腕を失ったトランペルドールは、右腕一本で銃を打ち(云々)

 

長い時を経て、残された文章の場所等が特定される

 

そして…

 

youtu.be

 

www3.nhk.or.jp

原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています

 

イスラエルには「マサダは二度と陥落しない」という合い言葉があります。悲劇を二度と繰り返さない、というユダヤ人の決意の表れです。

www.hankyu-travel.com

 

 

なんといいますか……(生きている人間が何と言おうが)

完全に神の怒りを買っているんですよ、これ(ボソッ)

死者達の霊も(私が母の霊から拒絶されたのと同じで、ここに来るな、と言っています

 

イスラエルと日本の意外過ぎる繋がり』の動画についていたコメントです

 

小名木善行さんについては、私は2本しか動画を見ていないので、ほぼ存じ上げないのと一緒なのですが、特に日本人を賛美しているとは受け取りませんでした、

日本国憲法は政権分離だ宗教否定だと言いながら憲法の第一条から信仰が入っているという矛盾点を指摘していますし、

むしろ「美化しすぎてませんか?」といった姿勢のようにも……

その上で、「日本のアイデンティティとは?」と問いかけていると、私は受け止めたのですが

(間違ってるかもしれませんけどね)

 

↓本日、巫女日記をどう仕上げていったらよいか迷っていた時に、差し入れられたフォローです

diamond.jp

 

このように基本的に終わらせる方向で進められているのです

稚日女尊の考えは変わりません

イスラエルを例に出せば、2千年も昔に滅亡したにも関わらずに、その事実を受け入れない人たちの矜持のために悲劇が繰り返されているわけじゃないですか

日本もそういうことなのです

 

原爆を2発も落とされて敗戦した時に、天皇を中心にすえた日本という国は滅亡したのです

今再び、かつての日本を取り戻そうとする行為そのものが、神の怒りに触れるのです

神の言うことを無視すれば、悲劇が繰り返されてしまいます

 

 

ご神託として書き直さなくても意味は通じるような気がしますが、念のため

 

天皇制をやめることで、新しい余白が生まれます。その空いたスペースが、未来の可能性を広げてくれるのです。

だから、「国民が天皇・皇室を支えない勇気」や「天皇制をやめる勇気」は、日本という国を前に進めるための力でもあります。