神聖かまってちゃんの歌詞も、進撃の巨人同様に卑猥モードで見れば別世界が見えてくるっていうカラクリか?
や、全部が全部ではないだろうけど
『ズッ友』の白い部屋ってのも精巣のことで、擬人化なのかも?
左右一対だから、ずっと友達
まるで双子のようなサシャとコニー
みたいなことをずっと考えていたりしていたんですが
『卒業式』の歌詞に関しては
晴れて『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読了しまして、さらには人様の考察や感想なんかを読んだりもして
「ライ麦畑」が「子供のような純真無垢な領域」(らしきもの)を表している(のかもしれない)ということがわかりました
ライ麦畑の外が「大人の領域」
というか「穢れた大人の領域」のようなもので、そこには性行為も含まれる
大人の領域への憧れもありながらも、いま現在は、それを上回る失望により「大人の領域」を穢れたものとしているが、少しずつ何かに気がついて行き、
自らも大人になっていく気配を感じて、それに焦燥感を抱く
というか必死に抵抗している?
(こんな感じでいいのかしら?)
終盤のフィービーの突飛な行動にホールデンは慌て、フィービーを諭す自分自身が、これまで自分が嫌悪していた大人となんら変わりがないことにホールデン自身が気づき、呆然としてしまった
(と読んだんだけど…)
この歌で意味が不明なのは、「卒業式」「強盗殺人」「マンホール」「下水道」
「行方不明になった大人」
「7歳の頃の公園」は、作詞・の子の個人的な思い出のものだとするなら、聞き手はそのまま受け取ればいいかなぁ
けど、7歳といえば小学校に入学する年齢ではある
幼稚園or保育園を「卒業」して、小学校に「入学」する歳
その頃の公園と不安定
たしかにガラリと環境が変わる頃ではあるけど、関係あるかな?
というわけで、やはりわからないことだらけですが
これまでの自分(環境)を卒業すれば、否応なく次のステージに進む(押し出される)
強盗殺人は、はじめての射精のことじゃないか?
「マンホールを開けて下水道を見張る」が最大の謎で、なんだろうなあ、なんだろうなあ、と事あるごとに考えていて、今朝、目覚めた時、ふと思いついた
「マンホール」は女性器で、下水道っていうのは、男性器から飛び出したものの行先という意味じゃないだろうか
排泄物の行先と言えば下水道
ずばり僕の将来の夢は、女性器を見ることだ
どや!
神経症を治せる遊具ってのは、自身の棒のことだな
どや!!
……あ、いや、至って真面目に語っています
ちょっと付け加えます
女性器に射精しなければ下水道に行く(死ぬ)という意味かもしれない
生殖行為という理由なく死んでいったもの(圧倒的敗者、弱者)を見つけてあげることが将来の夢、ということかもしれないよね
「行方不明」とも繋がってくるような?
この時期って、なんか不安定じゃないですか(^^;)
思い返してみても、なんか、いやだなぁ、みたいな感覚
ちゅねの場合、小5か6だったかな(初潮はもっと後ですが)
興味はバリバリあるけど、卑猥すぎちゃって耐えられない
みたいな
男の股のそれがそそり立つなんて……うえ~
想像できねえ~
おそろしい~
見たくねえ~
自分のもグロくて見たくねえ~
男のあれを、自分のそこに入れる?
自分もそうして生まれてきた?
うええ
お父さん、キモーい!
みたいな感じだったかな
男と女では違うだろうし、女の中でも千差万別だと思いますが
その割には、道端に落ちてたような青年エロ漫画は小さい頃から嫌ではなかったというスケベさはあった
ただ興味対象は、女の裸体の方だったんですよねぇ
いまでは同じくらい男の裸体にエロさを感じますが
この良さが、子供の頃にはさっぱりわかんなかったんだよ
というわけで、ちゅねはじろじろ見てるよ
もしや
大人の女の裸体をスケベな目で見ていたからこそ、いざ自分がスケベな目で見られる対象になってしまうことへ嫌悪感を抱いたのか?
ひょっとして
自分の身体がムチムチしていくに従って、男特有の細い腕や足が羨ましく見えるようになったのも、失った子供時代の身体をそこに見てるからなんだろうか?
グレゴリオ聖歌を自分なりの解釈で仕上げたとのことですが、
メロディに関してのみなのか
歌詞も自分なりの解釈で書いたのか
ここはあまりにも知識が無さ過ぎて何も書けない(^^;)
一言でいえば、神をたたえる歌ということ(でいいのかな)
こんなにも罪深い僕を赦してください的には読める、ような?(^^;)
罪悪感と神様は相性がいいよね
基本的には男性が歌うものとのことで、
野太い声で『卒業式』は歌われているので、歌詞も男性的なものと捉えていいんじゃないか
PV撮影のカメラ担当が父親とのことで、そこに大した意味はないと書かれていましたが
ちゅねは最初、思いっきり意味があるものと受け取っていました(^^;)
撮影者を父親とすることで、「僕」というのが実は父親であり、かつての「僕」にそっくりな息子を、どう接していいものか戸惑いながら見守っている、みたいな構図にしているのかと
ちょうど『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の終盤で、自分のような突飛な振る舞いをしようとした妹フィービーを見つめるホールデン、みたいなものを想像してました
いや、でも結構PVでは、そんな風な光景をイメージできますよね
ブランコにのってるところとか
出だしのひまわりの壁を背に座ってる姿は、不安定で神経質そうな思春期の中学生といった感じで