※最終話までのネタバレあり
2022.1013.「ヒストリアの本心」を追記しました
(『心臓を捧げよ』その10)の【雑感】で書くつもりでしたが、あとで見返そうと思った時、どこに書いたか忘れそうなので分離しました
- エレンの正義
- 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』と『卒業式』
- ロマンチックな【進撃の巨人】
- ミカサは、カルラの手先である
- ヒストリアの本心(2022.10.13.追記)
- 『まっさらな大地』
- チェンソーマン98話と【進撃の巨人】
- 美しいこと
エレンの正義
なぜエレンはヒストリアには本心を話したのか?
なぜエレンはミカサ(カルラの代理)には本心を話せなかったのか?
ということを考えてみよう
出来るだけ端的にざざっと経緯を説明しますと
エレンは心に邪悪なものを持っている(と考察)
憎しみにかられ、それを成敗する(処罰、こらしめる)時に、どこまでも残虐になれる
この行為が快楽にまで達する
10話『左腕の行方』
殺人そのものが快楽というんでなく、正義のためや、自分の正当性を示すためとか
自分の方が正しい、強い、優れているといった意味が追加されたときに
エレンはこの快楽ゾーンに入ってしまう
エレンはそれを自覚していて、たぶん小さい頃からカルラから注意を受けていたのではないか
もしくは、それをカルラが嫌がることをエレンは知っている(だからカルラの前では見せないようにしていた)(じょじょに隠すようになった)
エレンの人攫いメッタ刺し事件は
↓このニュースに近いですよね
エレンは、喫煙を注意した高校生の立場です
エレンの場合は、ルールを破った側を自分が傷つけられる前に殺してしまったので、別の問題が発生した
6話『少女が見た世界』でエレンが言っていたように、実際に電車内で起きた事件でも駅員や警察官は間に合わず、高校生は顔の骨を折る大けがをしている
危ないからという理由で憲兵団に任せていたら、ミカサが無事だったかどうかはわかりませんよね
命は無事かもしれませんが…
そのまま行方知れずになってた可能性もある
電車内で喫煙 注意した高校生に暴行 元飲食店従業員に懲役2年 | NHK | 事件
宇都宮地方裁判所栃木支部は「被害者に対し一方的に暴行を加えていて、動機や経緯などに酌量の余地はなく悪質だ」などとして、懲役2年の実刑判決を言い渡しました。
時間はかかるけれども、ルールを破った者(と言うのが正しいのかは不明)に制裁は下される(公平性?については別問題だろうけど)
子どもであるエレンやミカサが、大人に立ち向かっていくのは本当に危ない行為だ
けれども運よく大人を出し抜いて勝つことが出来て、ミカサを救い出すことに成功したエレンの
「ミカサを助けてあげたかった」
それの何がいけないのか?
という純粋な主張に対する反論が、ちゅねには見つけられない
この時のグリシャのように、エレンの命が危なかったから、としか言えませんよね
結局どうやろうが、ミカサを助けることをあきらめさせる説得になっちゃうんですよ
大人は子供に
世の中は不条理だということを理解させていかなければならない…ということなんだろうか?(^^;)
自分達も通ってきた道なんだよ、的な?(^^;)
この感覚は84話『白夜』や90話『壁の向こう側へ』のフロックの、「お前らばっかりが辛いと思うなよな」なんですよね
自分がすごく辛い目に遭っていたとしても、周りに目を向ければ理不尽なことを我慢している人たちが自分だけではなかったりする
だからといって「自分も我慢をする」というのが正解かといえばねぇ…
ちゅねも今になって思うことがある
あの時、我慢をしなければ…
あの時、嫌だということをきちんと伝えていれば…
あの時、もっと我を通していれば…
なぜ、それがやりたい、それが必要だという、たったそれだけのことが言えなかったのか
でも、そうするにはまず、自分の気持ちを伝える手段を磨かねばならんかったよよよよ
当時のちゅねは、自分の気持ちを表現する術が未発達だったし、くやしいことを「くやしい」というのが恥ずかしかった
「ズルい」と思ったことに対しても、どうズルいのかをうまく説明することが出来なくて泣くしかなかったです
自分も特別扱いしてほしい!とか言えんよね( ̄▽ ̄;)
そして、あんまり言語が発達しすぎても、クソ生意気で厄介な子供としか思われんかも?
何も言わないことが一番楽なんですよ
一応、ちびっ子だった甥姪と接したことはあり、ちゅねの経験上、小さい子を贔屓しないように接しましたが、3人、5人と一気に接しなくちゃならんくなるとパニックです
子供に思いもよらぬこと言われてドキッとする体験はしている(^^;)
子どもたちと接するのは面白かったですよ
親じゃないから気楽でいい
こつは、大人として接するんじゃなくて同じ目線で遊ぶと楽しい
(ちゅねの方が相手してもらってた疑惑)
感覚的に小5あたりから急に大人びてしまって、ちゅねの方が戸惑った
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』と『卒業式』
いや、今、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでまして
ちょうど終盤に差し掛かったところで…
どういう結末になるのかまだ知らないんだけど
感情的に、う、うーむ……、みたいになっていて
主人公ホールデンとエレンを重ねている自分がいる
なぜ読んでいるかっていうと
↑これです
ちゅね、歌詞がいまいちよくわかんなかったんですよ!
わかったような
わかってないような…
しょっぱなの強盗殺人からしてさぁ、ぎょっとしたし
そもそも、何を「卒業」する「式」なのか
単に「卒業式」の夜に強盗殺人をしてしまったということなのか
強盗殺人をして釈放された夜に再び強盗殺人を起こした、ってことか?
なので歌詞にあった『ライ麦畑でつかまえて』を読もう…って思いまして
あと、これ↓
昔読んだ時、面白さがあんまり分からなかった
という書き方は、少なくとも今では
少なからず面白さがわかるようになった
と受け取ったんですが
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』では主人公ホールデンが、ライ麦畑で遊んでいて崖に落ちそうになった子供が居たら捕まえてあげたいと話していて
それに対し『卒業式』では「ライ麦畑でつかまえてみろよ」と言っているので、歌詞の僕はライ麦畑に居る子供(年齢的には大人かもしれないけど)の方ですよね
調べてみたら村上春樹訳があったので、ちょうどいいな、と
村上春樹作品、ちゅねは読んだことないんです
じゃあなぜ選んだのかっていうと、【進撃の巨人】を深堀りするのにあたり、編集の川窪さんの傾向が知りたいってのがありまして(^^;)
2022.10.2、『キャッチャー・インザ・ライ』読了
村上春樹による巻末解説が原作者の要請により載せられなかったと書かれていて非常に残念に思っていたら
↑こちらに書かれているらしいことを知りました
これは読みたい
ロマンチックな【進撃の巨人】
最初の頃【進撃の巨人】をロマンチック方向な考察をしてもいいかどうか、照れくさくてモジモジしていて
ちゅねの予想では諌山創は恋愛ものを好み(一筋縄じゃないやつ)、描けるであろう作家でしたが、
エログロは恥ずかしくないとしても、ロマンチックは何気に照れくさいんだよね(^^;)
諌山創の記事等の情報だけでは判断つきかねたので、ターゲットを川窪さんに変えたら、思い切りロマンチックに行こう、と思えました
その後、の子が「自分はロマンチストだ」と言い切ってたので、いまでは臆することなくロマンチックしてます(^^;)
これとは別ですが、重要だと感じたツイートがこれでした
「何のために漫画を描くのか考えること」
— 漫画編集者バック (@ShingekiKyojin) 2021年8月2日
「責任を持つこと」
大事なのは何かと聞かれたら、この二つだと思っています。
面白い漫画やウケる漫画を描くということなら、また違いますが。 https://t.co/h1jGQmmMnP
(質問者の方のツイートが削除されているので、どういう問いについての返答だったのかは忘れてしまいましたが)
ということは、諌山創は、この二つを常に考えさせられていたのではないか?
と仮定して
編集者として厳しかったかも、とも書かれていたような
とすれば……(という風に考えてみる)
それによって出たちゅねの考察が合っているのかってのは、また別の話です
この記事もおもしろかった
そういや、【進撃の巨人】という作品を擁護するのに「これはただの漫画」というのを見つけた時、おいおいおいおいと、ちょっと笑ってしまったんですが
擁護しようとするあまり、批判する人に反論しようとするあまりに?
作品を貶めていることに気づいていない?
批判している側のが作品を評価しているという逆転現象が起きてるんじゃないかと
ちゅねには見えてしまって(^^;)
とはいっても、「ただの漫画」っていうのも、言いたいことはわかる
「ただの漫画」「ただの物語」としたうえで、内容について議論していた場合では…論点がずれちゃってると思うけど
「世間に悪影響が」に対して「ただの漫画」
だとして、作品を高評価してるのはどちらかというと
……前者だと思ったのですが、いや待てよ
高評価してるからこそ来る危惧が前者で
後者の場合は、それをわかったうえで、このままだと規制される!という危惧から、「これはただの漫画です」とわざと貶めて「ただの漫画」にカモフラージュさせようとする目論見があるのかも?
こうなると本心てホントわからないよね
そういやプライベートで【進撃の巨人】を熱心に読んでるって人に巡り合いまして、最終回の心臓を捧げよリヴァイって何か握ってるよね?と尋ねてみたところ、その人も気づいていたそうです!
けど、どういう意味があるのかがわからなかったと言ってました
あんまりネット上で、これを言及している人を見つけられないのだ
でもでも、それほどわかりづらいものでもないとも思っていたので
ネット等には顔を出さないオフライン組の中には、やっぱり気づいてる人って居るんだ!と嬉しくなった
超嬉しかった
同士よ!(;´Д`)
がっつり話し込むわけにはいかなかったので、もし意味があるとすれば、このシーンの前にリヴァイと一緒にいたのはミカサなのだから、他は無垢の巨人にされているし、ミカサとの間に何かやり取りがあったと考えられるんじゃないか?
に留めました(^^;)
で、川窪さんが厳しかったのなら、なんの脈略も意味もなく唐突に描かれたものなら「これは何?」と聞かれてる、ハズ、だよね……?
それこそ無責任に描かれているというのなら、「責任を持つこと」という趣旨に反していると思うし
…いかに編集の目を盗んで無責任なものを描き込むか、というスリリングなゲームをしていたという可能性もあるが(^^;)
徒然を続けますが
川窪さんのTwitterで言及されていた『ノースライト』、読んでみたらすごく面白かった
内容もさることながら、ちゅねは文体が非常に気に入った
三人称なんだけど、限りなく一人称に近い(と思う)
心理描写から現実に移行するところ(またはその逆)が、非常に心地よかったのだ
ちゅねは元々読書が好きなタイプではなくて、すごい偏食なんですよ、ちゅねって
うまく説明できないんだけど、心地よい文体というのがあって、本に限らず、ブログやTwitterとかでも、好みの文体のものはするすると頭に入ってくる
その逆に、ぜんぜん頭に入ってこない文体というのもありまして、たぶん読んでる傍から集中力が切れて何か別のことを考え始めている
で、川窪さん、村上春樹作品が好きとのことで(諌山創も村上春樹のようなところがあるとも、どこかで言ってたから)、読んでみようという気になっていたところで、村上春樹訳の『ライ麦畑で捕まえて』があったという出会い
作家には生涯テーマがある。遠藤周作氏だったら「神はいるのか」。司馬遼太郎氏だったら「日本という国を作った男たちを描く」。村上春樹氏だったら「喪失感を抱えた主人公が現実と異世界を行き来しつつ何かを探す」といったところか。そうした一貫した軸を持っているかどうかで作家の評価は決まる。 pic.twitter.com/Jhzk2XtNri
— 伊東潤@人間発電所 (@jun_ito_info) 2022年9月29日
村上春樹=「喪失感を抱えた主人公が現実と異世界を行き来しつつ何かを探す」
なるほど
覚えておこう
と、こんな感じで、興味を引かれている時に積極的に作品を摂取しておきたいんですよね
こんなことが無い限り、なにも読まないから(^^;)
どこまでこの興味が続くかわからないけど
ミカサは、カルラの手先である
まあ、ミカサはお目付け役だよね
エレンも最初こそはミカサを味方だと思っていただろうけど、
ミカサは調査兵団に入りたいことをカルラに告げ口し、そのことについてエレンに責められると「協力した覚えはない」ときっぱり突っぱねましたからね
1話『二千年後の君へ』
あの時にエレンは、カルラの意向=ミカサの望みだと認識したと思う
カルラが死んで、グリシャは行方不明
エレンはお兄ちゃんとして自分がしっかりしなければと思うようになった(と思われる)
50話『叫び』
そしてエレンは母カルラの望む立派な息子になるべく頑張るわけです
これが良い子のエレン
一方、悪い子のエレンは、自分が生まれ育ったパラディ島の人々を殺そうとする世界をやっつけたい
世界と一括りにいっても、ただそこで生まれてそこで生活していただけの人達も含まれます
また、ラムジー達のように迫害を受けて不遇な生活を余儀なくされていた同胞も含まれています
この時のエレンは、海を渡る前(ですよね?)でラムジー達に出会う前ですが
ヒストリアは、それはいけないことだと、常識としてエレンを諭そうとします
「いけないこと」というのはエレンもわかってる
それでもやりたいのです、エレンは
ヒストリアが犠牲になるのは自分が許せないんです、エレンは
ヒストリアにもっともなことを言われ、ぐうの音も出ない
正攻法(きれいごと)ではエレンに分はありません
そこで邪悪なエレンが表面に出てきました
というのは、もちろんヒストリアが「私は最低最悪の超悪い子」と啖呵を切った過去を共に過ごしたからです
自分に無関係な人達を救うより、目の前のエレンを助けたい
今の自分はエレンを助けたいだけで、あとは知らない
どうでもいい
(これが、ひょっとしてセカイ系?)
wikiで並べられる作品、ことごとく見てない、読んでない
ちゅね、セカイ系とは無縁だったようなので、間違ってたらすみません
ミカサには言えないけれども
ヒストリアだったら、ひょっとしたら自分の気持ちを受け止めてもらえるかもしれないとエレンは思ったんじゃないかと
ヒストリアが何と言おうが、どんどんたたみかけていき
極めつけに甘えるような熱い眼差し
たぶんここでヒストリアは折れ、
折れたと言ってもヒストリアにも譲れない点があるので、
ここから妥協案を探るべく、ふたりは話し合ったんじゃないだろうか?
エレンが威圧してヒストリアをねじ伏せたのなら
↑こんな感じになると思うので
このエレンの目元の雰囲気から考えるに、ヒストリアには完全に甘えにいってますよね
「なあ、いいだろ? ヒストリア」って感じで
で、ヒストリアは「しょうがないなあ」的な感じ
そしてヒストリアの妥協案が、ヒストリアが妊娠することだった
なぜそんな妥協案になったのか、ふたりの会話を整理すると
エレンの要望は、
ヒストリアが獣の巨人を継承し、島の生贄になるためだけに子供を生み、親子同士を食わせ続けることは絶対にさせたくないので、逃げてほしいということ
(憲兵と戦うことを選ぶなら、エレンは協力するつもりだったと思う)
一方ヒストリアは、逃げたくない
おそらく、世話している孤児を放り出したくないんじゃないかなぁ?
資金的にも、ヒストリアが女王だから運営できているところがあるよね?
憲兵と戦うのも危険(そのために孤児含めエレン達を戦わせたくない)
それならば自分が獣を継承するのが一番いいんじゃないかと考えた
なぜ子供を作るという話になったかを考えれば、ヒストリアが妊娠すればとりあえずの時間稼ぎにはなる
ということになると思う
とりあえずの時間稼ぎのためにヒストリアに妊娠してもらう
その妥協案に納得するという以前に、それでも自分の意志を押し通そうとする時点で、エレンはクズ男なんですけどね
レベリオに潜入して、ジークと接触し、ジークがパラディ島にやってくる
その時点でヒストリアにジークを食わせようという、パラディ島側上層部の計画を、ヒストリア妊娠で阻止するのが目的
とはいっても、突発的な計画なので、ヒストリアは急いで相手を見つけなければならないわけで、その時点で誰もいなければ必然的にエレンが相手役になるだろう
まあ、ちゅねは、いったんは二人で子作りに挑んだが失敗に終わったと思っているんだが
それを含めても、ヒストリアのお相手は幼馴染君、正真正銘ヒストリアの産んだ子の父親(子種元)というのに異論はないです
「どうしても急いで子供を作らないといけないから、あなたの子種を下さい」という恥ずかしいお願いをヒストリアが言えた相手が、あの幼馴染君だったと考えれば、幼馴染君の人となりと、ふたりの間の信頼関係は描かれずとも想像することはできる
というわけで、ヒストリアの前では悪い子でいられるエレンですが
ミカサの前では、カルラの望むようなエレンを演じていました
これと同じ構造が、エルヴィンにあります
62話『罪』にて、部下の望む通りの自分を演じていたエルヴィンと、それを見透かしていたザックレーとの会話
「昔っから王政が気に食わなかった」
「私はこの革命が人類にとって良いか悪いかなどには興味がない」
などなど、およそ総統が言うなど以ての外なことをぶっちゃけて言ってくれたから、エルヴィンはザックレーの前で正直な自分を出せた
更に72話『奪還作戦の夜』にて
「人類よりも地下室に行くことの方が大事」だとリヴァイに言い切り、リヴァイがそれを黙認したことで、80話『名も無き兵士』でエルヴィンはリヴァイに甘えた
ヒストリアはエレン、リヴァイはエルヴィンの罪を
自分の気持ちを押し通すために大勢の人を犠牲にする罪をもろ被りすることとなるわけだが、
双方ともに、「大事な人たちを救うため」ということに縋るしか、心は耐えられないんじゃないかなあ…と思う
それにヒストリアの場合、エレンは本当にに島の人達やヒストリアのためだと思ってるだろうし……
間違ってはいないんだけど、オレ達をこんな所に閉じ込めた奴らが許せない、お前らのせいでオレの生まれ育ったパラディ島の奴らが家畜みたいになった許せない
だから戦いたい
いついかなる時代においても自由を求めて進み続けた
自由のために戦った
それが
自由の翼!!!
なんですよねぇ……
これはさすがにヒストリアは知らないと思うし、リヴァイにもわからなかったから、記憶改竄の中身でアルミンの「なんでこんなことしたの?」という問いに、「さあ?」「わからねえ」になってしまったのだと思う
「大事な貴方を守るため」に世界を踏みつぶす
なぜこれがいけないことなの?
という純真なエレンに対して、エレンが守ろうとした人が迷惑こうむっている
ありがためいわく
ウザい
という方向でしか、純真なエレンに分からせる以外にないんじゃないかなあ?
というのがちゅねの考えですが
だからこういうところも『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に似てると思うんですよね
主人公ホールデンが、この世界で、この社会で暮らしていくには、どうすれば分かってもらえるのか?という正解は本文中には無い
何も解決していないし、そもそもホールデンを変えることが正解なのか?
というのもわからない
「狂っているのは社会の方だ」というのは、どこのセリフでしたっけ?
そうは言いながら、不特定多数の多くの人が嘘をついて暮らすわけだからさ
なんなのかね?
いじめで言えば、いじめる側、いじめられる側じゃなくて
火の粉が飛んでくるのを恐れてただ見ている人たちに問題があり、
「なりゆきに身をまかせるままさ」精神が悪いんじゃないの?
「いじめは良くない」と教えるのは簡単だけど
「いじめを見て見ぬふりするのはいけない」と教えるのは難しいよね
と、ここで、先に書いた『電車内で喫煙を注意したら大怪我した高校生』の話に戻っちゃうよね
自分の身を一番大事に考えてください、なんてさ
結局は「力」だよ
「権力」だよ
「お金」だよ
ヒストリアの本心(2022.10.13.追記)
ヒストリアはエレン、リヴァイはエルヴィンの罪に目をつぶったせいで、その罪をもろ被り
と何気に書いちゃいましたが(^^;)
そうか、「世界を滅ぼす」というエレンの望みを打ち明けられているヒストリアと、「地下室に行く」というエルヴィンの望みを打ち明けられているリヴァイは重なっているわけか
72話『奪還作戦の夜』
130話『人類の夜明け』
リヴァイとヒストリアは、人類の生存権に関わる重大な罪(byハンジ)を知ったにも関わらず、止めなかったうえに手を貸したことで共犯者となる
具体的な心情が書かれているのはリヴァイの方なので、ヒストリアの書かれていない心情はリヴァイを参照すればいいわけだ
72話の時点でのリヴァイは、それでもエルヴィンは善である(最終的には人類のための判断をしてくれるだろう)ことを信じているので、ヒストリアも同じなんだろう
あのエレンに限って、たとえ敵側とはいえ、罪のない人々を巻き込むような決断はしないだろう
しかしながら、それはヒストリアの願望でしかなかった
ハンジの言葉を借りるなら、自分の不甲斐ない理想論
このような事態にまでなったのは自分のせいだ
ヒストリアの心境は、この後のリヴァイを参照
「エレンはよく戦った」
「おかげで私達はここまで辿り着くことができた」
(世界を相手に戦うことができた)(そして勝った)
ただ、このエレンの顔は
リヴァイのこれにあたると思う
つまりエルヴィンは、状況的に自分の欲望を自分自身で貫き通すことが出来なかったが、リヴァイが自分の代理になってくれることを選んでくれた
という状況になる
エレンがヒストリアに満面の笑みを見せたのは
この時です(おそらく)
「ヒストリア… ありがとう(キラキラ)」
あの日あの時あの瞬間に、
ヒストリアは「私が、子供を作るのはどう?」、リヴァイは「新兵達を地獄に導け」と言うことは不本意なことで、半ば強要されたようなもの
つまり、エルヴィンもエレンもクズ男
…なんですが、
実はリヴァイもヒストリアも、自分の欲望を裏に隠していた
↑こちらの記事で、リヴァイがケニーに促されて本心を吐露しています
リヴァイの場合はエルヴィンに関係なく、獣の巨人をぶっ殺したかった
なぜぶっ殺したかったかというと、壁の向こう側でリヴァイ班が全滅したと絶望していて、その仇討がしたかった(万が一、生き残っているのなら、一刻も早く駆け付けたかった)
これをヒストリアに当てはめると、
結婚したくなかった
イコール
ようやく手に入れた今の生活(孤児院の運営)を手放したくなかった
この孤児院の運営の中に、後の夫となる幼馴染君も居るわけですよ
きっとヒストリアは、いつの頃からか幼馴染君に好意を抱くようになっていて
けれども、特に結婚したいとか、そういった具体的なことは考えてなくて、この平穏な生活が長く続けばいいな~くらいにしか思っていなかったんじゃないですかね
それがある日、いきなり事態が動き始めてしまった
エレンの提案に乗ってしまったのは、今自分が妊娠すれば、少なくとも今の生活が守られると思ったから
相手がエレンなら信用できると考えた
エレンなら、今の生活を壊すようなことはしない
でも、それが失敗に終わり(^^;)
しかも幼馴染君に見られてしまい( ̄▽ ̄;)
いよいよ追い詰められたから、本命である幼馴染君にすべてを打ち明けて、めでたく想いが成就した
って感じじゃないかしら
(見ず知らずの人の命を助けるより、幼馴染君と孤児達と平穏な暮らしがしたい)
リヴァイはこのあとに『白夜』を迎え、エルヴィンを葬りますが
ヒストリアの場合の『白夜』が、ミカサがエレンの首を持ち帰った時になると思います
リヴァイは一時だけ、自分に歯向かってきたエレンやミカサに激怒するけれども、これまでのエルヴィンや自分の罪を思い返して、エレン達の意志を尊重して、エルヴィンの死を受け入れます
ヒストリアも同様なことを経て、ミカサ達の意志を尊重して、エレンの死を受け入れることになる
『まっさらな大地』
あと、個人的にですが、ヒグチアイの『まっさらな大地』は、そういう風に受け取ってしまったんだけど
いや、個人的感想ですよ(^^;)
隣りにいてくれるだけで良かったのに、勝手に突っ走って
子供も大人も無差別に踏みつぶして、たっぷり血を吸い込んだ大地を指して
「ほら、これが自由だよ」
と言われ、どうしたらいいか困惑している、といった歌
検索掛けたら、真っ先にヒグチアイのツイートがヒットした
悪魔の子のカップリング曲、まっさらな大地は今日のシーンを読んで作りました。進撃の巨人を読んでいて、子どもたちばかりが謝っているなと思ったからです。悪魔の子を聴いた方はぜひまっさらな大地も聴いてみてください。
— ヒグチアイ (@HiguchiAi) 2022年3月6日
せっかくなので、ちょっと考えてみよう
子どもたちばっかり謝ってるとのことなので、漫画では127話『終末の夜』でガビが「ごめんなさい」と言ってるところだよね?
『悪魔の子』は124話『氷解』のニコロ「みんなに中に悪魔がいるから…世界はこうなっちまうんだ」というシーンだったので、どちらにもガビがいることから、ガビの存在に比重を置いているような印象があります
ガビに注目はしているだろうけれども、『まっさらな大地』の歌詞の「わたし」はガビではない
あやまっているガビを見ている大人
まあ、ミカサに見立てた方が一番やりやすいよね(^^;)
あなた(エレン)を守っているつもりが、気づかないうちに守られる側になっていた
「ごめんね」と言うべきなんだろうけど、あなたには謝れない
だって子どもが泣いている
あなたの愛はありがたいんだけど……
けどぉ
って感じに
子どものガビは謝ってるのに、あなたは謝らないの?
って感じに
ガビの希望はパラディ島の人々の皆殺し
エレンの希望はパラディ島以外の人々の皆殺し
この二大勢力がぶつかり、エレンが勝ち、ガビ側が負けたから、ガビの故郷や両親がなくなることになった
ただそれだけ
ガビは自分たちのために、パラディ島の人々が消えてなくなれと願い続けていたことを「ごめんなさい」と謝った
ガビとエレンは似ていた
ガビにはガビの守りたいものがあったはずで、わたし達の「勝利」は、ガビのような子の大切なものと引き換えに手に入れたものであることを意識しないわけにはいかなくて
大地に咲いた花さえも、素直に綺麗と言うこともできなくなってしまったと
この先に残された長い時間を前に途方に暮れてしまう
やっぱエレンを責めたい、責めたいのに責められない恨みの気持ちが滲み出てきちゃってるよね?(^^;)
わたしに幸せになってもらいたいと本当に思っていてくれたのなら、隣で笑っていてくれているだけで良かったのに
なんなの、これ?
みたいな
恨みのうた
と書いたところで、このインタビュー記事を見つけまして、
うおお、ちゅねの歌詞考察、割と合っているんじゃないのか
やっぱり、なんというか、女として、好き勝手振舞う男への怒りが込められた歌だと感じるのだ
まさしく作り手が「女」であることが伝わってくる
もちろん男と女の立場が逆転しているパターンもあるので、ここで一概に、これだから男は!とは言わないようにしますが
こと【進撃の巨人】に関しては、男の我儘に巻き込まれて死んだり、最終的に折れているのは女になっている
アニ然り、ハンジ然り、ミカサ然り
あとヒストリアね
エレンに折れて妊娠することにしたって、いかがなものよ
ヒストリアの相手が誰かって問題じゃなくて
もちろん最初はちゅねも目の色変えてましたが(;´Д`)
エレンがヒストリアを妊娠させたこと(妊娠させるように仕向けたこと)に問題があるんだよ
エレンはエゴの塊だからね
ガビはエレンと同じように描かれているところがあるが、エレンVSガビでは、負けた方がガビで、ガビは色々と折れて反省し、あやまっているわけで
これに関しては、もう作者の特徴としか言えないような気がするけど…
男は我を通し、女が折れる
イェレナは腕が折れて(笑) イェレナの腕を折ったマガトはかっちょいい死に方で勝ち逃げして、イェレナが折れた
エレンに関しても、一歩引くようになるのはエレン王女になってからだ
この構図は本来は面白くは無いんだけど
描き方次第かなあ(【進撃の巨人】は上手い描き方だと思うよ)
……愛嬌?
愛嬌かもしれん
「九州男児」で済まされている場面に遭遇するたび、ツボに入っている
エレンに「守ってもらえてラッキー」と思う人達にとっては、エレンの行為はありがた迷惑でもなんでもないだろう
それこそ
ちゅね的には、実際に島以外の世界を平らに出来たとして、そこまで環境破壊して島だけで成り立っていくことは可能なのか疑問に感じているので
なんであれエレンの地鳴らしによる弊害が起きた瞬間に、島でのエレンの評価はガラリと変わるよね
そして、エレンが、ミカサやアルミンやヒストリアといったエレンにとって極近の仲間が幸せならそれで良いと考えたのなら、その大切な仲間たちが子供を生めば、その子供の幸せを望むのが自然の流れだ
しかし平和が自分達が生きている間の50年~ほどしかないのなら、エレンが守りたかった大切な仲間は幸せだったと言えるのだろうか?
終わりが近づいてきたと感じた時、我が子に向け、「自分たちは間違ってた」と謝罪することにならないだろうか
最期の時に謝罪しなければならない人生が幸せなわけがない
もしそれでもエレンが、仲間だけの「生」に限定して行動を起こしたのなら、やっぱり自分自身の満足以外のなにものでもないし、とっても浅はか、
だと思うな…
チェンソーマン98話と【進撃の巨人】
唐突にチェンソーマン98話
一部は読んでないんだけど、二部のはじまりから読んでみた
というわけで藤本タツキの傾向とか、まるでつかめてませんが
(『さよなら絵梨』と『フツーに聞いてくれ』は読んだ)
(『無限の住人』が好きだということも知った。『無限の住人』は大好きな作品)
パロディがふんだんに散りばめられているらしく、田中脊髄剣と委員長のちゅーが、エレン生首とミカサのちゅーのパロディだということはわかりました(^^;)
なにがヤバイかって、ちゅーの後の「よし!ハッピーエンドだな!」ってところ
かなり皮肉ってるなぁ、と
ちゅね側の考察としては、作品を皮肉っているというよりは、エレンとミカサのちゅーを美しいと感動してしまう人達への皮肉と捉えたんですが
あんなことやこんなこと、なにか色々ゴタゴタあっても最後にちゅーさえすれば、ハッピーエンド!
こまけーことは、どうでもいい!
みたいな?
ちゅねも最初はエレンとミカサがどういう風にしてくっつくのか、そこだけに重点を置いて読んでいたので…(^^;)
その頃のままだったら「ハッピーエンド♪」しちゃった可能性高いんですよね
もしかしたらエレンがカルラの元にダイナ巨人を向かわせたという箇所で、多少なりとも引っ掛かったかもしれんけど…
漫画版ナウシカだって、ナウシカとアスベルがめでたくくっつけばそれで満足で、そうならなかったから「つまらん」になってしまった(;´Д`)
チェンソーマンで言えば、先生と委員長がセックスしてたとか、それでいて先生は三鷹ちゃんのこと狙ってたとか、嘘か本当がわからないってのに、それよりも田中脊髄剣と肉の塊が!とか、三鷹ちゃんが生き返ったとか、気にしなくてはいけないことが他にあるのに、とにかくちゅーさせとけば「ハッピーエンド♪」でその場はおさまってしまう
んなわけないだろ
で、爆発
ここまでが【進撃の巨人】への皮肉(茶化し)かなあ、と感じました
コケピーの回だから、コケにするってことかもしれない
(他作品要素も入ってるかもしれんが、ちゅねの知っている範囲しかわからない)
自作『さよなら絵梨』の爆発オチにすることで、茶化しを分かりづらくしている(ような気がする)
【進撃の巨人】を壊している最中のちゅねとしては、もっとやれ、とか思っちゃったのですが
もっともっとやれ
大々的にやれ
しかしながら成敗されるのがちゅね側かもしれんことを考えてしまい……鬱屈としてしまうネガティブ思考
ほら、諌山創って破壊願望があるって言ってたじゃないですが
自分が積み上げてきたものを最後にめちゃくちゃにしたい、というようなことをどこかで……
どのように壊したかったのか?という正解を知ることができないけれども、ちゅね、そのことについてもずっと考えてました
たとえばエレンが外の世界を踏みつぶすという結末は、積み上げてきたものを壊すことには当たらないと思うんすよ
むしろ積み上げてきたものの上に、最後に綺麗に石をのせる
138話でエレンがジャン達(仲間たち)を無垢の巨人にするようなことが、積み上げてきたものを壊すに当たると思う
ちゅねも、あれ見た時、ものすごい虚しさに襲われたんですよね
(いや、当時はミカサの妄想シーンの方に度肝抜かれちゃって、それどころじゃなかったんですが)
ミカサ、
シリアスな顔して
頭の中ではずっとこんなメロドラマな妄想してたのか(;´Д`)
と、ビッくらこいたのだ
あれもさー、ひじょーに言いづらかったけど、「もうどうすることもできないだろ」とか「これは言わない約束」とか、ヒジョーに薫らせてて…
よく漫画の中とかに登場するような、とにかく分かりやすいく大げさにこしらえたテレビドラマの内容みたいな
「あははは」「うふふふ」的なアレよ
(最終回の「ミカサの恋心を無下にしたことどう思ってるんだ!」同様)
(波打ち際での喧嘩ってのがまた☆☆青春☆☆)
ちゅねは、純朴潔癖青年リヴァイが書いた脚本(あるいは妄想)という考察しているからギャグとして見ていられるけど
でも諌山創の本気とも限らないわけで
そうすると、ちゅねの言ったことって、ただの……茶化しになっちまう
まあ、そんなこと気にせずに思ったことは感想として書いてもいいのかもしれないけどさ
でも少なからずあのシーンに感動している人がいるわけで
誰かの感動を茶化すことに繋がるかもしれないのがね…不本意だわ
自分達が「ダサッ」と感じてたものが
一周回って若者の心に刺さる時代になったのかもわからないし
自分が気が付かないうちに
ファッションのように
(-_-;)
ヒグチアイの『悪魔の子』に関しても、もうちょっと意見が二分してくれればなーって思う
水を差してくれないと、ちゅねは非常に息苦しくて居心地が悪いのです
え?
ちゅねはやりませんよ
ちゅねはこっから一歩も動かんぞ!
だから、自分がやりたいことをやったら、すぐにおさらばしたいという気持ちを最終回以降ずっと持ち続けて、早一年半ですよ(笑)
かつて自分たちの敵であり、まがまがしい存在だった無垢の巨人に、仲間達を変えてしまうことの残酷さってないと思う
仲間を、アホとか馬鹿面とか嘲笑すらした巨人にして(敵を倒す兵器)、敵側のライナー、アニ、ピークを食わせる
ライナー、アニ、ピークもそれでおしまいなんだろう、と思ったし
エレンとジャン達の出会いから、長い時を経て、これが結末かよ…っていう
「巨人を一匹残らず駆逐する」からの「心臓を捧げよ」
巨人の力があるせいで継承問題、寿命13年の呪いというものがあって、巨人の存在が消滅することがゴールのような気がする(していた)
読者もそういった登場人物に心を重ねて読んでいたと思うので、そこからの巨人を滅亡させない(巨人の力は消さない)は、積み上げてきたものを壊すことに当たるのではないか?
というわけで、ちゅねは主にリヴァイを使って壊している最中でございます
あとハンジか
ハンジの方は精神的ダメージ受けた( ̄▽ ̄;)
リヴァイはへっちゃら!なのは
女びいきであるちゅねにとって、ハンジの方に聖域があり、それを壊さなければならなかったからだ
傷つく気持ちも味わっているからこそ、諌山創のやったことの残酷さがわかるつもり
…といいたいとこだけど、ちゅねのただの妄想かもしれないのがねぇ
もうイヤ!(>_<)
なんなのこれ!
ストレスたまる!
↑の繰り返しです(笑)
破壊願望(衝動)に関しては、宮崎駿にそれがあることには気づいていた
なぜ最後に壊すかなあ、と、常々感じていたので
あれと同じように考えれば、なんとなく納得できるところはある
といっても、ちゅね自身はあんまり破壊衝動って無いと思う
もしかしたらあるかもしれないけど……、どれがそれに当たるのか、自分自身が気づいていないだけ?
誰も踏みしめていない雪原を、誰かに踏まれる前に全部踏んでしまいたいってのはある(笑)
でもそれは自分のものではないから
どちらかといえば、自分のものにならないのなら滅茶苦茶になってしまえ!だよね?
マーキングだよね?
マーキング(自分のものに)したものを壊したくなる衝動ってのがなあ…
自分自身なのに、自分のものではないという感覚なのだろうか?
自分自身を俯瞰で見てるってことか?
自分なのに自分のものにならないのなら滅茶苦茶になってしまえ?
美しいこと
諸事情により最後に持ってきました
リヴァイもエレンと同じ快楽を持っていると考察しています
(自分にとっての敵を成敗してる時、恍惚としてしまう)
(ちょー気持ちいい)
ジークを手中に収めて、以前から思い描いていたこれ以上に無い拘束方法を試し、これからジークが苦しむことを想像するだけで絶頂するほど興奮してしまう
(※リヴァイは絶頂はしてないと思いますが)
(※なぜなら縛ってるから)
(※もう……ドン引き)
(※されちゃうじゃないの、ちゅねが(^^;)
ミカサを敵認定し、拘束した際にも、リヴァイはこの領域に落ちた
たぶんミカサも見ちゃったんじゃないかな
我に返ったリヴァイは、ミカサに知られてしまったことが恥ずかしくて、自分の記憶も含めて消したくなったので、記憶改竄という方法に飛びついてしまった